Long
□★それが運命ならば
8ページ/8ページ
6
「また明日なー」
陽が沈みかけ、部活を終えた部員達が挨拶を交わしながら部室を後にする。
俺も例外ではなく最後に残った一人に顔を向けながら部室のドアに手をかけた。
「ほな、お先やで」
そう言った俺にスッと手を上げて答えた白石を部室に残し、陽が落ちても暑さを忘れない外に足を踏み出す。
校門まで行くのに一分足らずで着いてまうけど、俺の足は重く、いつもより歩く速度が遅い気がした。
前を見ると校門が間近に迫り、ドキドキと速まる鼓動を感じて。
一回だけ深呼吸をして校門をくぐり、すぐ近くの塀に寄り掛かっとった人物に目を向けた。
「すまん、えらい待たせてしもた?」
「別に…」
「…せやったら行こか、ちょお遅なってしもたし」
小さく頷いた光を見て帰り慣れた通学路を辿る為に足を踏み出すと、光もそれに習って俺の横を歩く。
光と肩を並べて歩くんも久しぶりで、俺は妙な緊張感を感じながら足を動かした。
俺達がこうしとる理由、それは先程のオトンからの電話にあった。
『今日部活の帰り、光くんにウチに来てくれって伝えてくれへんか?一緒に帰って来て欲しいねん』
部室で受けた時の電話でオトンは俺にそう言うて。
何で光と?とか思ったけど、聞き返す前にオトンからの電話は切れてしもた。
自分の名前が会話に出てきたんやから、光もそのまま部室から出るなんて事は出来んかったみたいで、不安気な顔をした光にオトンからの伝言を伝えた。
少し悩んどった光やったけど、黙って返事を待つ俺に向かって「帰り、校門で待ってますわ」と言って部室から出て行って。
結局俺が光に問い詰めようとした事はうやむやになってしもたし、オトンが光を呼ぶ理由も分からんかった…けど。
なんとなく…胸がざわついた感覚がずっと消えんくて、俺はあまり気が進まんかった。
パッと目の前の信号が赤になり、動かしとった足を止める。
俺と同じく横で止まった光の様子をそっと窺がえば、何を考えとるのか分からんような表情を浮かべとって、何かを話した方がええんちゃうかって思うけど、何を話してええのか分からんくなってまう。
でも、この沈黙に耐える事が出来んくて、俺は当たり障りの無い言葉を発していた。
「オトン…、光に何の用があるんやろな…」
独り言のように言葉をつぶやけば、信号に視線を向けとった光が横目で俺を見て、小さく溜息を吐いた。
「そんなん俺が聞きたいぐらいやし…」
少しだけ覗かせた光の不安そうな顔を見て、俺の中にも多少の不安が広がった。
何の用なのか想像もつかんから尚更。
「…謙也さん、青やで」
「え、あ…」
いつのまにか青に変わった信号に目をやりながら、少し前を歩く光の背中を急いで追った。
たぶん、光の方が俺より何倍も不安なんやろな…
そんな事を考えとると、遠くに見慣れた家が見え、この時間には珍しく家の中は明かりが点いとって妙な違和感を感じさせる。
目の前まで来ると光はどこか緊張した面持ちで後ろに立ち、玄関のドアに手をかけた俺をジッと見つめとった。
ガチャリとドアを開け、明かりの漏れる家の中に足を踏み入れる。
「ただいまー」
久しぶりに言うたそのセリフに、俺自身ちょお変な感じがして…なんや懐かしい…とかそんなふうに思った。
オトンと二人で暮らしてからは、こうして学校の後家に帰っても誰もおらんし、真っ暗な家が俺を迎え入れて。
そんなものにはもう慣れてしもたけど、やっぱり誰かがおるっちゅーのは温かいような…不思議な感覚やった。
俺の後から光も玄関に入ってドアを閉めた所で、廊下の奥からバタバタと聞こえた慌ただしい足音に二人して目を向けた、その時。
「えっ…!?」
俺は目の前に現れたピンクのエプロンを着けた人物に思わず声を上げてしもた。
「お帰りなさい、ちょお遅かったんやね」
柔らかい表情のその人は俺と光の顔を交互に見ながら少し照れたような笑顔を向けとって。
声を発しようとした瞬間、後ろにおった光が急に俺の前に飛びだした。
「ちょ…何してんねん…!」
光は驚きの声を上げながら微笑む顔を睨みつける。
そら…自分のオカンがいきなりここにおったら驚くんも無理ないけど…
そう、俺達の前に現れたんは光のオカン、美月さんやった。
「私も宗也さんにお呼ばれされたんよ、って言うても、計画したんは私なんやけど…」
「…は、計画?」
光は眉を寄せながら、ふと、廊下の奥に視線を送る。
奥から出て来たんは俺のオトンで、俺達三人を面白そうに見つめ微笑んだ。
「二人ともお帰り、そんな所におらんで上がったらどうや?」
「オトン、これってどういう…」
口をつぐんだ光の代わりに今度は俺が疑問を投げかける番やった。
美月さんの隣に並ぶオトンは、美月さんに笑いかけ、そして口を開く。
「美月さんがな、この前四人で会うハズやったのに会えへんかったから、こうして一緒に食事したらどうやって計画してくれたんや」
「謙也くん…勝手にごめんなさいね、急にこんなんやってしもて迷惑やったかな?内緒にしてたんも二人を驚かせたくて…」
「え、いや、迷惑やなんてそんなん思ってへんです!」
申し訳なさそうな表情の美月さんに向かって慌てて首を横に振る。
あの日、光が飛び出して行ってもうたから四人でこうして会って話すんは今日が初めてになる。
美月さんもやっぱり気にしてたんやろな、なんて考えながら隣の光に目をやると、視線はオトンに向いたまま不安気な瞳が揺れとった。
「えっと…光くん…て呼んでええのかな?」
「あ、はい…、この前は急に帰ってもうてホンマに…」
オトンに話しかけられた光は、顔を強張らせながら語尾を濁した。
光もあの時帰ってもうた事を悪かったって思っとるみたいで…、その表情を見て思わず触れてしまいそうになった手をギュッと握り締める。
あれは、しょうがなかったんや…。
あの瞬間…俺と光の何かが終わりを告げてしもたんやから…
目を背けて逃げ出してしまいたかったんは俺も同じ。
あそこで光が飛び出して行かんかったら、俺が最初に走りだしとったかもしれへん。
「ええってええって、謙也から聞いとるで、二人共知り合いやったんやろ?部活の先輩後輩やったらそら驚いてまうわ、こんな偶然そうあるもんやないしなぁ」
オトンの言葉に光は小さく息を吐いて、チラ、と俺に目を向ける。
俺は何も言わず微笑んだだけやった。
「ほな、ご飯もうすぐ出来るし、早よ上がって!」
「せやな、二人ともお腹空いとるやろ?美月さんがめっちゃ美味しそうなん作ってくれたんやで」
そういえばなんやええ匂いがする。
俺の家族が四人やった頃の、懐かしい匂い。
家族の…匂い。
チクリと、胸に何かが刺さるような感覚がしたが、俺はそれに気付かんふりをして廊下の奥に消えて行く二人の後を追う。
俺の後ろで俯く光の顔は見れんかった。
たぶん光は、今の俺と同じ表情をしとると思うから…
「めっちゃ美味しかったな、謙也」
「おん!こんな美味しい夕飯久しぶりやった!」
食後、見事に空っぽになった皿やらコップやらを下げながら、俺とオトンは美月さんに向けて声をかける。
「ホンマに?そう言ってもらえたら作った甲斐あったわ」
美月さんの嬉しそうな笑顔に俺も笑みを浮かべとった。
料理はどれも美味しくてビックリするぐらいやったし、みんなで交わす会話も思わず微笑んでまうほどに楽しかった。
「あ、片付け手伝います」
俺が手を出そうとすると、流しを片付ける美月さんが慌てたようにそれを遮る。
「ええよ、ほら、ソファにでも座ってゆっくりしとって」
美月さんに背中を押され、既に光が座っとったソファに少し躊躇いがちに腰を降ろす。
俺が隣に座っても光はクッションを抱えたまま微動だにせんかった。
「いつも美月さんの料理が食べれる光くんが羨ましいなぁ」
椅子に座ったオトンがソファに座っとる光に顔を向けて笑いかけると、ジーっとテレビを見つめとった光はゆっくりと振り返って。
「いつもはあんな気合入った豪勢なもん出てこおへんですけど…」
「こら、光っ!」
光の言葉に美月さんは頬を赤らめながら声を上げた。
あはは、と、温かい笑い声が室内に響き、俺もその風景を笑顔で見つめる。
温かい
そう感じたんは表面だけで…
反対に俺の心はどんどん冷めていく
どうしてか、と考えれば自ずと答えは導きだされる。
笑い声や笑顔、温かい食卓…
きっとこの風景は…
…俺の日常になる
その日常の中で俺の隣には光がおる。
…おるけど、それは俺が望むものではない。
…俺以外のみんなが望む、幸せのカタチ。
割り切れない想いを抱えて、ずっと立ち止まってるんは俺だけ…
みんなが前に進もうとしとるのに
俺だけ足を踏み出せずにもがいとる…。
俺は…どうすればええ…?
今はまだ、俺が「嫌や」と言ってしまえば崩れてしまうぐらい脆い関係。
…でも、光はそれを望んでへん…
望んでへんから、俺に別れを告げた。
それが本心かと問えば、光は首を縦に振る。
…例え嘘をついてても…
…例え俺を想う気持ちがあっても
もう覆る事はない。
…そうなんやろ?
今日を過ごして分かってしもた。
俺がどちらを取るべきなのか…
そんな事はもう、光に別れを告げられた時から既に決まっていたという事を。
この温かい大切なものを壊すんは
俺にも光にも…誰にも出来んという事を…。
ピリリリリリ…
突然部屋に鳴り響いた音にハッとして顔を上げる。
音のする方に目を向ければ、オトンが上着から携帯電話を取り出し、画面に視線をやってすぐにボタンを押しとって。
その顔は普段より険しく、俺はどこからかかってきたのかがすぐに分かってしもた。
「…容態は?……そおか、せやったらあと15分で行くから治療室に通しといてや」
深刻な顔で通話をするオトンを見て、洗いものをしとった美月さんは手を止め、心配そうにオトンに駆け寄る。
俺もソファから立ち上がり、電話を切ったオトンに口を開いた。
「どないしたん?病院から?」
「あぁ、交通事故やって、何人も運ばれとるみたいやから…今から病院行かんとアカンくなってしもた」
「大変!せやったら急がんと…!」
オトンの隣におった美月さんは口に手を当てながら眉根を寄せて。
そんな美月さんを見ながら、オトンは残念やとでも言うふうに深く溜息を吐いた。
「こんな時に急患やなんて、ホンマついてへんわ…」
「何言うてるん、医者がそんな事言うてたらアカンで?」
「…せやけど…」
「私達の事なら気にせんでええんよ、またいつだって来れるんやから」
オトンは美月さんの言葉に頷き、近くにあった上着を羽織ると、俺に目配せをしてバタバタと玄関に急ぐ。
「私、すぐそこまで見送って来るわね、悪いけど片付けちょお待っとってな」
「あ、そんなら俺が片付けやるし…」
「ええって、謙也くんは光の相手でもしたって」
オトンの後を追うように美月さんがリビングから出て行き、玄関のドアが閉まる音が聞こえた。
慌ただしかった室内が急に静かになり、テレビの音だけが耳に届く。
再びソファに腰を降ろした瞬間、あ…、と思い、自分より僅かに低い位置にある黒髪を視界の端に入れた。
気付けば俺は光と二人きりでこの家に取り残されとって、なんや妙に意識してまう。
それでも何かを言おうと俺は必死になって頭を動かして、何気なく顔を横に向けた。
「えっと…ごめんな、オトン医者やからこんな時でも行かなアカンく…て…」
…え…
語尾を濁しながら光を見れば、その目は静かに閉じられ、微動だにしない身体の胸だけが唯一小さく上下しとった。
寝とる…?
息を殺して覗き込めば小さく呼吸音が聞こえ、閉じられた目は開きそうにない。
俺はしばらく、幼さの残る顔をただジッと見つめてしもた。
光の寝顔…
前はよお見とったけど、なんやめっちゃ懐かしい感じがする。
そら、そうやろな…
最近は光と一緒におる事すらなくなったんやから…
ふと、光の頬に手を伸ばしとった自分に気付き、ピタリとその手を止めた。
…アカン、このままやったら光に触れてまう…
目を背けようと視線を下にずらした、その時やった。
光の身体の横に放り出された手がピクリと小さく動いて…。
俺はその手から目が離せんくなっていた。
保健室で、俺の手を握り締めとった手
あの時の感触はこの手やなかったんやろか…
ずっと考えとった事が頭の中を支配し、俺は吸い寄せられるかのように自分の手をゆっくりと光のそれに近づけて。
ドキドキと鼓動する胸の振動が手にまで伝わって指先が震える。
触れたら起きてまうんやないかって思ったけど、もうそこで止める事は出来んかった。
もし…
もしもあの手が光のものやったら…
ドクンドクンと、心臓の音が大きく響く。
あの時触れた手から伝わった感情。
それは幸せな日々を過ごしとった温かさのままで。
光は俺の事好きやなかったって言うたけど、それは光の覚悟の表れやって、今はそう思えるんや…。
光の覚悟がそれほどのものなら、俺は…
光が望む道を歩いて行くんが、今の俺が伝えられる精一杯の愛情やと思うから…
…それがお前の望むもの…なんやろ?
熱い指先が触れ、光の手を握り締めた瞬間。
俺の目には涙が溢れ、あの時の感触が今ハッキリと感じられた。
やっぱり…
俺の為に涙を流してくれたんは…
光やったんやな
…次は…俺が覚悟を決める番…
俺は手を握り締めたまま、そっと光の顔に自分の顔を近づけた。
「これで最後やから…」
誰に言うでもなく、自分に言い聞かせるようにその言葉をつぶやき、ゆっくりと光の頬に触れ…
そしてそっと目を閉じた。
お願い
どうか目を覚まさないで
何も知らずに
最後の我儘を受け入れて
俺の中を満たすお前への想いを
今、返すから…
…ひかる
「…ホンマに…大好きやったで…」
震える唇で触れた唇
涙に濡れた最後のキスは、悲しい味がした