mini

□ただ、見つめるだけ
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植物状態って言うらしい。

俺の一つ年上の兄貴は昨年の七月に交通事故にあった。
酷い事故だった。
三人が死亡して、兄貴を含めた八人が重傷を負った。

兄貴は奇跡的に命はとりとめたらしいけど、身体のあちこちにチューブを繋がれて、目を半開きにしたまま病院のベッドに寝ている。
それとも起きてんのかな?
どっちかは解んないけど。

俺はそんな兄貴に毎日会いに来るのが日課なのだ。

「やぁ兄貴」

話し掛けてももちろん何も言わない。
それでも俺は話し続ける。

「今日も授業がめんどくさかったよ」

一応俺は大学生だ。
駄目学生のレッテルを貼られそうになっているが、毎日なかなか必死に通っている。

「…加奈子さんも、元気そうだったよ」

加奈子さんは、兄貴の恋人だった人だ。
色白でほっそりとしていて背が高く、長めの黒い髪を上手に結いあげている。
少しキツめの大きな目は、いつも何かをじっと見据えているようで、化粧気のない顔はとても綺麗だ。
俺の一つ上の学年で、サークルの先輩でもある。

兄貴とは高校が一緒だったみたいで、俺を通じてまた仲良くなったらしい。
詳しくは知らない。

兄貴は加奈子さんを溺愛していた。

「また、前みたいに笑ってくれるようになったよ」

兄貴がこんな状態になってからしばらく、加奈子さんは死んだみたいに笑わなくなった。
俺には、兄貴がこんな状態になったことよりも加奈子さんが笑わなくなったことの方が辛かった。

「今日も、凄く綺麗だったよ」

加奈子さんは、兄貴を愛していたのに俺のことも好きだと言った。
俺は初めて会った時からずっと憧れていたから、その台詞を聞いた時は頭がぶっ飛ぶかと思った。

そう、浮かれていたのだ。

「…兄貴」

だからこそ俺は、俺たちは、取り返しの付かない過ちを犯した。

「何でなにも言ってくれないんだよ」

兄貴の恋人である女性と、身体を重ねるなんて。

あの日、

家に帰ってきた兄貴は、俺と彼女が愛し合っているのを目の当りにして、何も言わずに家を出ていった。

バイクに乗って。

どこを目指していたのかはわからない。
ただひたすら、遠くへ行こうとしていただけなのかもしれない。

とにかく、兄貴は行ってしまった。
そして、二度と戻らぬ人となったのだ。

謝ろうと思っていた。
謝ってすむ問題ではないけど、謝らなくちゃいけないことはわかっていた。
彼女との関係はそれが最初で最後だったし、彼女が本当に愛していたのは兄貴だけだと、きちんと話そうと思っていた。

それなのに。

「どうしてこんな、何で…何で、なんにも言ってくれなかったんだよ」

あの時も今も、兄貴は何も言ってくれない。

ただ、半開きのその目がどこか一点をじっと見つめているだけ。

俺のことを映してはくれない。

「兄貴…」

彼は何も言わない。
罪を犯した俺を責めたりしない。
いっそのこと、思い切り罵倒して殴ってくれたら楽になれたのに。
何も言わずにただ、どこかを見つめているだけ。



恐らくこれは罰なのだろう。
兄貴が俺に与えた、どちらかが死ぬまで終わることのない罰。

俺は、この罰に永遠に苦しめられるのだ。

「…い、め…なさい、ごめん…なさい」

今日もまた、いつも通り。
与えられることのない許しを請うために、俺はひたすら謝り続ける。

兄貴は今日も、ただどこか遠くを見つめている。

生き地獄とは、このことを言うんだろうか。





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