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□愛憎紙一重
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『俺、まきちゃんの事好きになっちゃったみたい』

1年前の今日、今わたしの目の前に居る男から言われた言葉だ。

わたしはその言葉に、何て答えたのか覚えていない。

当時派遣社員だったわたしは、この男が倉庫整理のバイトをしている会社に勤めていた。

どうやって出会ったのかや、いつ仲良くなったのかも、やっぱり覚えていない。

わたしの中でこの男の存在は、随分と希薄なものだった。

あの告白に承諾を出した記憶も、断った記憶もない。

ただ、今日まで一緒に居たということは、あの日わたしの出した答えはYes.だったのだろう。

「まきちゃん?」

男の声で我に返る。
目の前には、少し不安そうな顔をした男。
わたしの彼氏、とでも言うのだろうか。

「わるい、考え事をしていた」

彼は、わたしの少し芝居かかった口調が好きだと言った。
わたしは、彼がわたしを下の名前にちゃん付けで呼ぶのが嫌いだと言った。

「だと思った。目が遠くを見てたよ」

人懐こい笑顔を浮かべる目の前の男。

世間一般では“モテる”部類なのだろう。

「何の話をしていたんだっけ?」

わたしもぎこちない笑顔を浮かべてみる。

目の前の彼は、人懐こい笑みを顔にはりつけたまま、にこやかに話しだした。

彼は、わたしのあまり笑わないところが好きだと言った。
わたしは、彼の誰にでも笑いかけているところが嫌いだった。

人の機嫌を損ねないように生きているようにしか見えない、彼が嫌いだった。

「…まきちゃん?」

目の前の男はもう笑っていなかった。
無表情に近い。

「…悪い」
「何、考えてたの」

一瞬の思考、それから、ゆっくり口を開く。

「わたしたち、もう、一緒に居ない方が良いんじゃないかと思っていたんだ」

言葉を選びながら言ったのに、それは無意味だったようだ。

「いつ、言われるかって、びくびくしてたよ」

目の前の男は、やはり笑っていた。

「でも俺、本当にまきちゃんの事好きだから、自分からは言えなくて。まきちゃんのこと考えたら言うべきだったんだろうけど、言えなくて」
「…そうか」

沈黙。

先に口を開いたのは彼だった。

「…俺さ、まきちゃんに嫌われたくなくて、一生懸命機嫌とろうとして、それが駄目だったのかな」

わたしは立ち上がると、彼の頬を思い切り叩いた。

小気味良い音が、昼前の空いた喫茶店内に響く。

ポカンとした顔の男を見下ろして、わたしは吐き捨てるように言った。

「女々しい男も嫌いだが一番許せないのは、オマエみたいに他人の顔色ばかり窺って嫌われないように生きて、自分が危なくなったら哀れみを誘おうとする人間だ。わたしのことが好きなら、自分の生き方を見直してから出直せ」

そのまま踵を返して足早に店から出た。

右手の掌に微かな痛みを感じる。
暗い喫茶店から出たばかりの目に、晴れた日の太陽は眩しすぎる。
目の奥がにぶく痛んだ。

直射日光を避けるように顔を動かすと、わたしの目の前を、名前も知らない蝶々がひらひらと通り過ぎて行った。




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