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□テディ・ベアと魚
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冷えきった体は、浴槽にはった湯の中につかっていても温まることはなかった。

触れる湯は温かいのに、体の芯は冷たい。
辛抱強く、具体的には三十分ほど、温まろうと我慢してみたけど、無意味だと確信。



部屋に戻ると、先月放置したままのテディ・ベアが俺を見上げている。

目が合わないよう注意して、暖房の設定温度を上げた。



くだらない。
何もかもがくだらない。



最後の君との会話を、受話器越しの会話を思い出す。

冬は乾燥するね。
そうだね、くちびるにはリップクリームを、手足にはクリームをぬらなくちゃね。
そんなベタベタした女とはキスしたくありません。
わたしは君とキスしたくありません。
奇遇だね。俺も君がくちびるにリップクリームをぬっていなかったとしてもキスしたくないよ。
死ね。
お前が死ね。

ああ、なんてくだらない会話!

テディ・ベアの名前の由来は、セオドア・ローズヴェルトからきているらしい。
そんな予備知識、今はクソ程も役に立ちません。

これを買った理由もくだらない。
きちんとラッピングされていたはずなのに、いつの間にか包装紙も綺麗なリボンもどこかへ消えてしまっている。



テディ・ベアの似合う女は腐る程知ってる。
でも俺は、君ほどテディ・ベアの似合わない女を他に知らない。

渡すはずだったそのぬいぐるみは、むき出しのまま冷たいフローリングに寝そべって、いったいどんな夢を見ているんだろう。



好きだと言えなかった。
ただ、それだけ。

言えば終わってしまう気がした。
君の笑顔が、声が、髪の毛が、シャンプーの匂いが、遠ざかってしまうかもと考えるだけで、俺は水上げされた魚みたいに息ができなくなる。

つまり、死ぬ程君が好きだってこと。



いつまでも体が温まらない理由は、唯一の熱源であった君がとても遠い人になってしまったから。
素敵な君のことだから、誰と一緒でも笑顔で幸せになるんだろうね。

彼女の描く幸せの中に、俺はいない。



好きだと言えなかった。
言えないくらいに、君が好きだった。

君は少なくとも俺のことを友達、あるいは知人程度には仲の良い人間であると思ってくれているって過信していたのが悪かったんだろうか。
それとも、君が俺に哀れみで優しくしてくれていたのをいつまでも気付かないフリしてたのが悪かったんだろうか。

自分が今、何を考えているのかももう理解不能だ。
笑っちゃうね、本当に。

どんなに理由を考えたって、それは後付けの自分に対する慰みにしかならない。


上げたはずの暖房。
矛盾だらけの思考。
体はちっとも温まらない。

電話が鳴った。
日付はもう変わっている。
テディ・ベアを爪先で蹴り飛ばして電話に近付きながら、俺が今確信できることはただひとつ。



電話の相手は、君じゃない。





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