倉庫 汎用

□蛟の喰らう夜
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喧騒に包まれた会場では、既にあちこちで酒の宴が始まっていた。
きょろきょろと辺りを見渡せば、的場が見知らぬ大人達と談笑しているのが見えた。
あの中に、探している術者はいない。
ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、要は不穏な気配を感じてぶるりと体を震わせた。

「この気配……」

間違えるはずもない。あの術者の気配だ。
じりじりと肌を焼くような、憎悪に満ちた視線。それがゆっくりと、要のいる方へと近付いてくる。
逃げなければ。早く的場に知らせなければ。これはまともな精神を持つ人間の気配ではない。既に正気など失われている。
そう理解しているにも関わらず、要の体は縫い付けられたように動かなかった。

「主、様……」

みしり、みしりと畳が沈む。
足音は真っ直ぐ、的場ではなく要へと近付いていく。
やがてそれ彼の後ろまで迫り――

「どうしたんだい、田沼君?」
「―――ッ!?」

がしりと肩を掴まれ、要は飛び上がるほど驚いた。
だがすぐに自らの誤りに気付く。

「名取、さん」
「久し振りだね。顔色が悪いけど、またご主人様に無茶なことでも言いつけられたのかい?」

要に優しく声を掛ける、この男の名は名取周一。俳優を生業としながら、祓い屋としても活躍する多才な人間である。
要の正体を知る数少ない人物でもあり、それなりに信頼のおける相手だ。
その登場に泣きたくなるほど安堵した要だったが、事態は全く好転していない。

「名取さん、お知り合いですか?」
「――――!!」

要の顔を覗き込む名取の向こうから、胡散臭い笑みを浮かべた男が声を掛ける。
その声に、要は喉をひきつらせて凍り付いた。

「三上さん!」

名取が三上と呼んだその男。
背丈、髪型、そして纏う気配。
間違いない。この男が的場に式をつけていた術者だ。

「ええ。的場の頭首のお気に入りです」
「へぇ……」

三上は舐めるように要を眺め、狐のように目を細める。

「君、名前は何というのかな?」

相手は人間だというのに、そのとき要は恐怖に震えた。
これだけの人の目があるというのに、自分が祓われてしまうと信じて疑わなかった。
それだけの狂気が、悪意が、三上の目にはあった。

「田沼君?」

名取は訝し気な目で要を見るが、三上の異常さには気付いていない。
要は唇を戦慄(わなな)かせ、目尻から零れんばかりに涙を溢れさせた。
そのとき、

「何をしているんです、要」

要の首に腕が回され、ぐんと後ろに引っ張られる。
唖然とする名取と、険を濃くする三上。二人の目の前で要を手繰り寄せたのは他でもない的場だった。

「あれほど勝手なことをするなと言ったのに。お前は人の話を聞いていないのですか?」

彼は要の額を叩き、すぐに顔面に笑顔を貼り付けて名取達に向き直る。

「おや、久し振りですね、名取」

白々しい的場の笑顔に、名取も劣らぬ胡散臭い笑顔を返す。

「やあ。相変わらず、君は田沼君には厳しいねぇ」
「どうもこの子は注意力に欠けていていけません」
「元気な証拠じゃないか」
「馬鹿なだけですよ」

二人の軽いやり取りに、漂う空気が柔らかくなっていくのがわかる。
要はほっと安堵の息を吐くと、未だ震える指先でぎゅっと的場の衣を掴んだ。

「的場さん、俺……」
「うるさいですね。言わずともわかっていますよ」

言葉にせずとも、要の怯え方を見ればこれが件の術者であることはわかる。

「名取、そちらの方は?」

話の流れで尋ねると、三上はここぞとばかりに的場の方へ進み出た。

「お噂は予々(かねがね)伺っております。私、三上と申します」
「ほう……祓い屋の方で?」
「はい。まだまだ駆け出しの未熟者です」

容姿も名前も、的場に覚えはない。
三上の反応からも、面識があるとは思えない。
何故この男が的場に式など貼り付けたのか、皆目見当もつかなかった。

「それでは私はこの辺で。名取さん、また今度お話聞かせてくださいね」

探る的場を躱(かわ)すように、三上は早々とその場を離れる。
その背が人混みに消えるのを見届け、的場はようやく名取に尋ねた。

「名取、あれは何ですか?」

名取は肩を竦めて首を振る。

「聞いての通り、祓い屋だよ。私も最近知り合っただけで、詳しいことは知らない」

素性は知れず。残るのは言い知れぬ不安だけ。
目的がはっきりしない以上、敵か否かを判断することも出来ない。
ともすれば、とるべき行動は一つ。

「要、お前はもう帰りなさい」
「主様!?」

突然の命令に、要は信じられないという顔をして主を見た。
的場はそれに、さも当然の如く言い捨てる。

「顔はもうわかりました。お前がこれ以上何の役に立つと?」
「盾になることは出来ます!」
「お前は馬鹿ですか。そんな事態に陥れば、それこそお前は邪魔ですよ」

特に戦闘に役立つ技があるわけでもなく、この場では祓い屋より弱い。そんな要がここにいる意味は、もはや何処にも存在しない。
返す言葉もない要に、名取もやんわりと的場の言葉に同意する。

「大丈夫だよ、田沼君。君の主はその辺の祓い屋に負けるほど柔ではないだろう?それに、一応私も付いているから、ね?」

そう言われてしまっては、要も引き下がる他ない。

「……わかりました。名取さん、主様をお願いします」

要は深々と頭を下げ、後ろ髪を引かれる思いでその場をあとにする。
寂しげなその背を眺め、名取はくすりと笑いを漏らした。

「随分大切にしてるんだね、あの子のこと」

冷やかしのつもりなのだろう。意地の悪い笑みを浮かべる彼に、的場は小馬鹿にしたような嘲笑を返す。

「あなたは何もわかっていないのですね、名取」

そのときはまだ、名取は気付いてもいなかった。
的場が要を遠ざけた、本当の目的を。

 
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