倉庫 汎用

□蛟の喰らう夜
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山を流れる小川の中に、獣の姿をした妖(あやかし)が倒れ伏す。
噴き出す血が清流に入り交じり、下流へと流れていく。
この鮮烈な赤を、市井の人々が目にすることはない。
的場静司はそんな川の穢れを一瞥し、つまらなそうに溜め息を吐いた。

「後始末は任せますよ」

彼の呼び掛けに応じ、茂みの中からわらわらと和装の男達が姿を見せる。
男達は的場の横を通り抜け、妖の回りを取り囲んでいく。
川の中では、まだ息のある妖が憎悪に満ちた叫び声をあげている。
けれど的場の関心は、二度とこの妖に向けられることはなかった。



的場が沢を少し下ると、苔生した岩の上に一人の少年が座っていた。
怪しげな文字の書かれた紙で顔を隠したその少年は、退屈を紛らすように爪先で水を蹴り上げている。

「要?」

その横顔に声をかけると、少年はぱっと顔を上げて的場の方を向いた。

「おかえりなさい、主様」

僅かに見える口許に笑みを浮かべ、要と呼ばれた少年はひらりと岩から飛び降りる。

「お仕事は終わったんですか?」

主人の帰りを待つ犬の如く駆け寄ってくる要に、けれど的場の表情は冷たいものだった。

「どうしてお前がここにいるのですか?私は宿で待っているようにと命じたはずですが」

たちまち要は顔を曇らせ、しゅんとして主の前に頭を垂れた。

「すみません。何処かの式が主様をつけていたので、気になって……」

的場はあまり人様から褒められるような祓い屋ではない。
恨みを買うことも少ないわけではなく、快く思っていない同業者は数えきれないほどいる。
そんな主の身を案じての行動だったが、当の的場は要の勝手を容赦なく叱責した。

「お前のような役立たずが出ていって何になると言うのです?どうせ術者を捕まえることも出来ず、帰り道もわからなくなってここにいるのでしょう?」
「それは……」

要は何かを言い返そうとしたが、言葉を見つけることも出来ず、すぐに口を閉じる。
的場の言葉は厳しいが、言っていることは全て正しい。
何一つ言い返せない要に、的場はあからさまな落胆の息を吐いてみせた。

「それで?何か手懸かりは見付かったのですか?」
「あ、はい」

びくりと肩を震わせながら、要は慌てて一枚の紙切れを差し出す。
人の形に裁断されたそれは、祓い屋がよく使う紙人形。何らかの文字が書かれていた部分は擦り切れており、この紙から術者を辿ることは困難だ。

「他にはないのですか?」
「術者の横顔を見ましたが、成人男性であることしか……」

主の命に反し、碌な成果もあげられなかった。その不甲斐なさに、要は申し訳なさそうに俯くばかり。
的場はその顎を掴んで上を向かせると、

「愚図が」

彼の頬を強く打ち据えた。
ぱん、と乾いた音を響かせ、少年の顔を隠していた紙が千切れ飛ぶ。
少年の頬は痛々しい赤を滲ませていたが、彼は涙こそ浮かべたものの、決して呻き声だけは漏らさなかった。
そんな少年に追い討ちをかけるように、的場は辛辣な言葉を吐き捨てる。

「お前のような式に出歩かれたのでは、私の評判に泥がつきます。二度と勝手な真似はしないでください」

要はぎゅっと唇を引き結び、小さく「すみません」とだけ呟いた。

 
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