倉庫 汎用

□憐憫の器
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蛟を封じる儀式には、陣と器と術者が必要となる。
住職は事前に山の中に陣を描くと、本人は田沼の寺に戻って儀式に臨んだ。
夕陽が山の向こうに沈む頃、呪文の詠唱が始まる。
それを十分確認し、村人達は要のもとへと向かった。

「要!大変だ!陣に不備が見付かったらしい。急いで山に行って確認してきてくれ!」

父親が手を離せない状態であることは、彼も承知していたのだろう。
要は疑うこともせず、村人に連れられて山の中へと入っていった。
薄暗くなった山中は、松明なくしては一寸先も見えない闇だ。
そんな中を歩いていると、不意に先頭の男が立ち止まった。

「あの……どうかしましたか?」

要は何も知らず、きょとんとして男を見る。
男の持つ松明が揺らめき、木々が風に葉を鳴らす。

「急がないと、間に合わなくなりますよ?」

純朴な彼は、気付かない。

「すまない、要」

背後の男がこん棒を振り上げたことも。

「え?」

自分がこれから生贄にされることも。

「ぁ゙ッ――――」

後頭部を襲った衝撃に、要はその場に崩れ落ちた。
ぶっつりと意識が途絶え、指先はぴくりとも動かない。

「………急ごう」
「ああ」

要が動かなくなったことを確認すると、村人達は急いで彼の手足を縛り上げた。
薄く開いた口には阿片を含ませ、その上から轡を噛ませた。
これから惨たらしい最期を迎える彼の、これが人としての最後の姿。
村人達は手を合わせ、涙で顔を濡らしながら、要を陣の中に放り投げた。
そうして振り返ることなく、村人達は山から逃げた。
沸き上がる罪悪感に、声をあげて泣きながら。



空に煌煌と月が輝く頃、儀式は無事に終了した。
住職と村人はその成功を確かめるべく、山を登って陣へと足を運んだ。
闇は先程より深く、松明を手にしていても足元はよく見えない。
そんな中を掻き分け進み、ついに一同は陣のある場所へと辿り着いた。
村人達は、これから住職が目にするであろう悲劇に拳を握り締める。
その怒りを、憎しみを、受け入れるだけの覚悟を決める。
そうして彼等は松明を下に向け、陣のある場所を照らし出した。

最初に浮かび上がったのは白い線。陣の外側の線だ。
次に内側の紋様が、その更に内側の線が見える。
そして次に浮かび上がったものは、無数の擦り傷がついた人間の足。

「なっ!?」

住職は驚き息を飲む。
尚も村人は舐めるように松明を動かし、倒れ伏す人間の体を照らした。
足から腰へ、腰から胸へ。
そして光は、その顔を照らし出す。

「……あ、ああ……そんな……」

僧侶は口許を覆い、崩れ落ちるようにしてその場に腰を落とした。

「嘘だ……そんなこと……ああ……」

地に手を着き、まとまらない言葉を吐き出しながらそれに這い寄る。

「なんでお前が……要、なんで……っ」

そこにある我が子の顔に、住職は泣きながら頬を擦り寄せた。

「こんな……惨い……」

噛まされた轡は千切れる寸前で、顔の回りは血と吐瀉物に汚れていた。
手足を縛る縄は緩み、四肢には無数の傷があった。
のたうち回ったであろう彼の周囲には、土が抉られた痕が幾つも見て取れた。

「すまない」

村人は誰からともなく膝を着き、地面に頭をすり付けた。

「俺達には他に考え付かなかった。要の他に、器になるものが見付からなかった」

今となっては何の意味もない言い訳だ。
どんな理由があれ、要を殺したことに変わりはない。

「要……」

住職は要を腕に抱き、轡を外し、汚れた口回りを拭いた。
縄を解き、髪を梳き、愛しい我が子の頬を撫でる。
未だ温かいその肌は、要の命が失われていないことを告げる。
だが生きていたとしても、これはもう要ではない。
蛟の器となった彼には、もう人としての意識はない。
器となったものはそれまでの自分を失い、やがて妖になるという。
伐られたあの樫の木も、それまでは四季を問わず青々と葉を繁らせていた。
木ならば捨て置けたものを、人ならばそこに置いておくことは出来ない。
動けるものが妖となれば、器そのものが村に害を及ぼしかねない。

「坊様、要が目覚めてしまう前に……」

器が目覚める前に、動けるものは川に流す。
それが住職の最後の仕事。
村人達は要を抱え上げると、住職と共に山を下りた。
人としての要を葬るために、あまり時間は残されていなかった。



一同が川へ下りると、そこには村人全員が集まっていた。
村人達は手に手に白い山百合を持ち、桐で作った棺いっぱいにそれを敷き詰めた。
要が寂しくないようにと、子供達はお気に入りの玩具を棺に詰めた。
女達は腹が空くだろうと、貴重な野菜を幾つか詰めた。
男達は酒を、住職は要の好きだった本を、それぞれ桐の棺に入れた。
そうして最後に要を寝かせ、蓋を閉めて川に浮かべた。
夜の冷たい川の中に、桐の棺はぷかぷかと浮く。
住職は川の中に足を入れると、トンと棺を下流に押した。

「いってらっしゃい、要」

村人達はその影が見えなくなるまで、手を合わせて要を見送った。
棺は波に揺られながら、遠く、遠く、川を下って消えた。



それから要がどうなったのか、村人の中に知る者はいない。
人でなくなった要は、一度として村に戻ることはなかった。
村は蛟の脅威から救われたが、後の戦で全て燃えてしまった。
家も、人も、田沼の寺も。
かつて要の生きた村には、今や荒涼たる大地が広がるばかりである。
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