倉庫 汎用

□憐憫の器
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ある夏の日のことである。
山へ木を切りに行った青年は、切り倒した木の中におかしなものが混じっていることに気が付いた。
それは見た目こそ普通の樫の木であったが、中身はくり貫かれたように空っぽであった。
虫や獣が巣食っていたにしても、空洞はあまりに大きい。
青年は不思議に思いながらも、その木を森に捨て置いて村へと帰った。

明くる朝、村で一人の老人が死んだ。
山に山菜を採りに入り、無惨な姿で見つかった。
老人は腰から下をざっくりと切断され、内臓を食われて死んでいた。
熊も狼もこんな食べ方はしないと、村の誰もが知っていた。
これは妖怪の仕業に違いない。
村人達は松明と刀を手に、すぐさま妖怪退治に繰り出した。
どんな妖怪が潜んでいるのか、男衆は息を殺して山中を探し回った。
けれどどれだけ探しても、それらしいものは何処にもいない。
そうこうしている間にも、死人の数はどんどん増えていった。
死に方は皆同じ。山で、村で、街道で。様々な場所で殺された。
百人あまりの小さな村は、五日で十人を失った。
いよいよもって追い詰められた村人は、ついに山中で“それ”を見付けた。
それはあの青年が切り倒した、中身の無い樫の木。
それを目にした村の老人達は、全てを悟って肩を落とした。

「蛟様が出てこられたんだ」
「罰(ばち)が当たる。蛟様はお怒りのはずだ」
「俺達の村を食い潰しに来たのか」

何事かと動揺する若い衆に、老人達は言った。

「昔、この山に蛟という神様がいたんだ。蛟様は気性の荒い神様で、時々村に降りては川を溢れさせた」
「あんまり人が死んだものだから、寺の坊様に頼んで蛟様をこの木に閉じ込めた」
「きっと蛟様は俺達を許してくださらない。だから毎日殺しに来るんだ」

一度は封じた神の復讐。
恐怖と絶望に震える老人達だったが、若者達は希望を得たように目を輝かせた。

「一度封印出来たんだ。また坊様に頼めばいい!」
「そうだよ!また封じればいいだけだ!」

過去に封じたという事実があれば、再びという希望もないことはない。
見えない敵に震えていたこれまでに比べれば、それは朗報にもなり得るものだった。

「……ならば、田沼の寺に頼もう」

幸い村には寺が一つ存在した。
かつて蛟封じを請け負った寺が。
流石に当時の僧侶はもう生きていないが、直系の子孫ならば今も寺に住んでいる。住職となった男と、その息子が。
不安はなくもなかったが、他に頼る術はない。
急ぎ田沼の寺へと向かった村人は、すぐさま住職にことのあらましを話すと協力を懇願した。
村を救うには、もうこの方法しかないのだと。
すると意外にも、住職はその無謀にも思える願いを聞き入れた。
ただし、無条件にではない。

「封じることは出来ます。ですが器になるようなものがなければ……」

住職は蛟を封じるために、まず器となるものを用意するよう言った。

「蛟を生き物の体内に封じる。それがこの寺に伝わる蛟封じの技です。器は必ず生きているもので、それなりの霊力を有していなければ」
「その辺の樫の木じゃ駄目なのか?」
「これまで封じていた樫の木は特別です。かつてこの村にあった神木を挿し木して育てたもの。神木も苗木も、もうこの地にはありません」
「家の牛じゃ駄目か?」
「家畜では無理です。山の主でも捕らえない限り……」

なにせ神を封じる器だ。その条件は厳しい。
村人が頭を抱えていると、不意に一人の青年が手をあげて言った。

「俺が器になります」

あの樫の木を切り倒した青年だった。

「これは俺が招いたことです。責任をとるべきは俺だ」

蛟を世に放ってしまった彼は、自らが器になることで罪を贖おうとした。
けれど住職は首を振った。

「残念だが、君には霊力がない。それに、器になるのは死ぬより辛いとある。生きながら臓腑を食われるんだよ。器になる前に死んでしまう」

思いはあれど資格がない。
どうすることも出来ないもどかしさに、青年は強く地面を殴った。
そんなときである。

「器はなんとかします」

村一番の年長者である老人が、皆の前に進み出た。

「なんとしてでも、器は我等が用意します。坊様は儀式の準備を行ってくだされ」

皆一様に驚きと困惑を見せ、老人の顔を見下ろした。

「何か思い当たる節でもあるのですか?」

住職が尋ねる。
すると老人は顔をあげ、苦渋の表情で答えた。

「一つだけ、案がある。上手くいくかはわからんが、このままでは村は滅びる。やるしかないのだ」

確証はない。
だが他に道もない。

「……わかりました」

住職は頷くと、すぐさま蛟封印の儀式のために動き出した。
もう時間はあまりない。
一人でも多く生き残るために、一刻も早く決着をつけなければ。
その一方で、村人達は老人に詰め寄った。

「爺様、本当にあてがあるのですか?」
「……お前達、この村には坊様の他にも、霊力のある者がおるだろう」
「!!」

老人の言葉に、誰もが同じものを思い浮かべた。
住職の他に一人だけ存在する、霊力のある人間を。
それは他でもない、住職の一人息子。
村人達は老人の提案に震えた。

「それは駄目だ!坊様がお許しにならない!」
「そうだ!それに……そんなのあんまりだ!」

住職の一人息子である要は、まだ元服も済ませていない少年である。
体は弱いが思慮深く優しい子供で、父の使いとしてよく村に顔を出していた。
そんな少年を犠牲には出来ないと言う村人に、老人は一喝した。

「ならばこのまま皆殺しにされるか!?」

このままでは村は全滅。そうなれば要もいずれ死ぬ。
どうせ死ぬなら皆を救って死ぬ方が良い。
勝手な言い分ではあったが、村が生き残るにはそれしか方法はなかった。

「坊様には言うな」

老人は静かに言った。

「儀式にの直前に、坊様に気付かれぬよう連れて行くんだ。手足を縛って、舌を噛まぬよう轡を嵌めて。痛みを感じずに済むよう、ありったけの薬を飲ませてやるといい」

村人達は生き残るために、非道なその策を受け入れた。
老いも若きも、男も女も、皆は業を背負う覚悟を決めて、ついにその日を迎えた。
 
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