倉庫 GC-2

□終ノ刻 約束
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暫くそうして踞っていた彼は、ふと何処からか聞こえた水音に顔を上げた。

『大丈夫ですか』

見れば、いつの間にそこに現れたのか、青い袴を履いた女が屈んで右手を差し出している。

『そんなところに座っていると、あなたも流れてしまいますよ』

変わったことを言う女だ。
ダリルは差し伸べられた手を訝し気に眺め、女の顔を見明けだ。

「誰?」
『私は巫女です。刺青(しせい)の巫女』
「シセイ?」
『入れ墨のことです。青を刺すと書いて、刺青』

そう言って、女は自分の頬を指差す。
そこには不健康に白い肌と、それらを覆い隠さんばかりに刻まれた柊と蛇の刺青があった。

「それ……」

現代ならばファッションとして刺青を入れる者も多いが、この女のそれは洒落や酔狂の域を超えている。
頬を差す腕にも、袷の合間に見える胸部にも、衣服では隠しきれない刺青の端が覗き見える。
おそらくは上半身のほとんどを、柊と蛇の刺青が覆っていることだろう。
いっそ異様なその姿に言葉を失えば、女は仄かに悲しげな笑みを浮かべてダリルの顔を見下ろした。

『これは人々の痛みです。この場所に迷い込んだあなたにも、刻まれているはずの痛み』
「僕にも?」

慌ててダリルは己の体を見回した。
手や足や腹。目に見える範囲には、柊の刺青は見当たらない。

「僕には無いみたいだけど?」
『そうですね。きっとあなたの分は、あの人が背負っているのでしょう』
「あの人?」
『はい』

相も変わらず言われている意味はわからなかったが、それを詳しく問うより早く、二人の会話に割って入るものがあった。

『零華』

その声はこの空間の奥、祠の入口から発せられていた。
目を遣れば、そこには地味な色の着流しを纏った若い男が立っている。
彼は倉の中から上半身だけを出し、刺青の巫女を手招きして叫ぶ。

『もうすぐ海が開く。御渡りの時間だ』

“海”という単語にダリルが目を見開く。
零華と呼ばれた女は男に手を振り返すと、そんなダリルに再び手を差し伸べた。

『私には、あなたの気持ちがわかります。私もあの時、目の前で彼を失いました。その亡骸を、目を閉じることも出来ずにずっと見詰めていた……』

言いながら、彼女は祠の中の男に視線を向ける。

『ですが、あの人の気持ちもわかります。私も、生きていてほしかったから』

彼女が目の前で失ったのは、おそらくあの祠にいる男なのだろう。
だとすれば、彼女の言う“あの人”とは誰なのか。
問おうとするダリルを制するように、彼女は最後に微笑んだ。

『だからちゃんと伝えましょう。あなたの悲しみも、思いも』

そうして彼女はダリルの手を引き、男の待つ祠へと走り出す。
走って、走って、飛び込んだ祠の先に、彼はこの世の最果てを見た。
 
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