倉庫 GC-2

□母親の肖像
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ローワンの前から逃げ出したダリルは、施設の裏手に回ったところでようやく足を止めた。
外は夕暮れ。
強い西日が横顔を照らし、濃い影が長く伸びている。
ダリルは上下する肩を静め、整えられた花壇の前にゆっくりと歩を進めた。

「はあ……」

溜め息と共に、沸き上がるのは自己嫌悪。
ローワンを叩く気は全くなかっただけに、罪悪感は一入(ひとしお)だった。
それでも手が出てしまったのは、囃し立てた外野の言葉のせいでもある。
頻りに囁かれた母親という言葉。ダリルはその言葉に、気付かぬうちにローワンと母親とを重ねて見ていた。
外見は似ても似つかない。面影などあるはずもない。
それでも重ねてしまったのは、やはりローワンの要らぬ世話のせいだろう。

「ママ、か……」

ぽつりと呟き、記憶の彼方にある母の顔を思い浮かべる。
もうほとんど思い出せないその顔に、浮かんだ感情は憎悪。

「ッ―――!!」

咄嗟にそれを掻き消そうとし、ダリルは意味もなく右手を振った。
直後、

「Ouch!」

指先に何かが振れ、間髪いれずに悲鳴が届く。
何事かと振り返れば、そこには顔を押さえて踞るローワンの姿があった。

「うぅ……」

彼の足元に目を遣れば、眼鏡が一つ地面に転がっている。
おそらくこれがダリルの手に触れたものの正体だろう。

「…………」

またやってしまった。
また意味もなくローワンを叩いてしまった。
自己嫌悪に陥るダリルの目の前で、ローワンは眼鏡を拾い上げながらゆっくりと顔を上げた。

「びっくりした……。いきなりどうしたんだ、少尉?」

レンズを傾け、傷がないことを確認して眼鏡をかける。
さも当然のように一連の動作を終えたローワンに、ダリルは呆然と彼の顔を見上げた。

「……なんで」
「ん?」
「なんでここにいるわけ」

叩いて逃げた人間を、何故迷いなく追いかけてくるのか。
再び顔を叩かれて尚、何故当たり前のように自分の前に留まっているのか。
ダリルにはまるで理解できない思考の果てを、ローワンはあっけらかんとして答えた。

「様子がおかしかったから、何か悩みでもあるのかと思って」

そう、このお節介だ。
これがダリルの天邪鬼に拍車をかける。

「余計なお世話だよ」
「だな」

つっけんどんに吐き捨てても、ローワンはそれを叱らない。
ただ隣に立って、穏やかな表情を浮かべているだけだ。

「なんで僕に構うわけ」
「え?」
「鬱陶しいんだけど」

牽制のつもりで吐き捨てて見せても、

「なんで、か」

彼は額面通りに受け取らず、心の内を理解しようとする。
それが煩わしいようで、けれど何故か嬉しいようで。
何よりダリルは、そんな不可解な感情が気持ち悪かった。

「そうだな……」

ローワンは西日に照らされた顔を伏せると、ダリルの横を通り過ぎて花壇の縁に腰を下ろした。

「何もしてやれなかったから、かな」
「?」

何のことを言われているのか、ダリルにはさっぱりわからない。
思い当たることなどあっただろうか。
首を捻る彼に、ローワンは顔を伏せたまま続けた。

「戦闘中のオペレータを守るのは我々の役目だったのに、あの日、何一つしてやれなかった」

安全と言われるエンドレイヴのオペレータでも、無防備な肉体を狙われては一溜まりもない。
六本木フォートで初めて桜満集と交戦したあの日、現場に中継車で参戦したダリルはローワン諸共葬儀社に身柄を拘束された。
技術者とは言えローワンは軍人である。彼にはオペレータを守る責務があった。
けれどあの状況下では、彼に為せることなど何もなかった。

「だからというわけでもないんだがな」

そう言って苦笑するローワンの、小刻みに揺れる帽子を眺めながら、ダリルは返す言葉を探して薄く唇を開いた。
慰めてやるべきか、いっそ酷く詰るべきか。
必死に考えを巡らせても、掛ける言葉は浮かんでこない。

「…………」

ダリルは唇を引き結ぶと、逃げるように夕日に目を向けた。
太陽は未だの空に浮かんでいるが、あと10分もしないうちに地平線の彼方へ沈んでいくだろう。
あの陽がすっかり絶えた頃には、彼は単身敵地に乗り込むことになる。
そこにはもう、守ってくれる人間はいない。

「で、少尉は?」
「えっ?」

思い出したように尋ねられ、ダリルははっとしてローワンを見た。

「悩み。あるなら聞くぞ」

思い返せば、もとはそんな話だったか。
やはり彼はお節介である。

「……生意気」

ダリルは蚊の鳴くような声で呟くと、ローワンの帽子をひったくって宙に放った。

「あ、こら、ダリル!何を――」
「アンタなんかに心配されなくても全然平気なんだよ!バーカ!」

下瞼を引き下げ、赤い舌を突きだして走り去る。
ローワンは唖然としてその背中を見送り、

「……そうか」

口許に微かな笑みを浮かべて、ゆっくりと帽子を拾い上げた。
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