倉庫 汎用

□目を背けてはいけません
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あの日、高尾と緑間は些細なことで口論になった。
自販機のお汁粉が売りきれていた。ただそれだけのことをきっかけに、子供のようなくだらない喧嘩をした。
その中で、振り上げた緑間の手が高尾の顔に当たってしまった。不幸にも緑間の指先は高尾の目を掠め、彼は一時的に片目が使えなくなった。
よろけた高尾は車道へ大きくはみ出し、運悪く車に撥ねられた。
誰のせいでもない。
これは不幸な事故だった。

「なのに真ちゃんってば、俺のせいで失明しちゃうんだもん。こんなんじゃ死んでも死にきれないだろ」

他人事のように笑う高尾の声を、緑間は呆然と聞いていた。
受け入れ難い現実に、彼は必死に逃げ道を探した。

「だ、だったらお前は何なのだよ!高尾が死んだのなら、今ここにいるお前は誰なのだよ!」
「何言ってんの。真ちゃんの相棒だった高尾和成でしょ」

相棒だった。
過去形で告げられた言葉は、逃れようのない現実を緑間に突きつける。

「ショックで失明するくらい俺のこと愛してくれちゃってたのは嬉しいんだけど、俺としては真ちゃんがバスケ辞めたことが死にきれないくらいショックだったわけよ」
「だったら死ぬな。気合いで生き返ってみせろ」
「おまっ、無茶言うなよ。いくらエース様のワガママでも、それは聞いてあげられないわ」

高尾は一頻り笑い終えると、一呼吸置いて緑間の肩にするりと腕を回した。

「なあ緑間、そろそろ自分を許せよ」

そこにあるのに触れることのない体。
体温を感じない腕に抱き締められ、緑間は初めて高尾が死んでいることを理解した。

「俺はいいんだよ。もう死んだんだから」

理解してしまえば、失った僅かな記憶は簡単に緑間の中に戻ってきた。
思い出したくもない凄惨な事故現場が、瞼の裏に鮮明に蘇った。
宙を舞った高尾の体。あらぬ方向に曲がった腕。徐々に冷たくなっていく体を、どうすることも出来ずにいたあの瞬間。

「そりゃあ、やりたいことはいっぱいあったよ。赤司にリベンジしたかったし、優勝だってしたかった。でも、死んじゃったもんは仕方ない。それに、真ちゃんに見守られて死ねたんだから、相棒冥利につきるってもんだろ?」

高尾にも未練はあった。後悔だっていくつもあった。
けれども最期は満足して死んだのだ。
緑間が光を失うその時までは。

「俺はさ、真ちゃんが普通にバスケして、秀徳で優勝して、そんでちゃんと高校卒業して、ツンデレな真ちゃんでも好きになってくれる女の子見付けて、幸せな家庭を築いて――あ、できれば子供は男と女両方な。そんで時々、俺のこと思い出してくれるだけでいいんだわ。両目なんてもらっても、俺には重すぎるよ」

実際、これは緑間の現実逃避に他ならなかった。
自らの行動の結末と、襲い来る罪悪感に目を背けた結果。
全ては緑間自身のためであり、何一つ高尾のためではなかった。

「ならば俺はどうすれば良かった?お前に何もしてやれなかったというのに!」

すると高尾は寂しそうに目を伏せ、緑間に絡ませた腕を惜しみながら解いた。

「それは違うよ。何もないはずはない。だって俺、真ちゃんと一緒だった一年と少し、びっくりするほど楽しかったんだぜ?」

辛いこともあったけれど、それすら幸福な思い出であった。そう言って彼は笑う。

「でも、そうだな……真ちゃんが我が儘聞いてくれるってんなら――」

高尾の言葉が途切れると同時に、トン、と緑間の手に何かが触れた。
指を這わせてそれを探れば、ごつごつとした表面が感じられた。
形状は球。手のひらより大きく硬い。
その正体を、緑間はよく知っていた。

「バスケットボール……?」

そうだ。これはバスケットボール。

それに気付いた瞬間、緑間の目に鮮烈な橙色が飛び込んできた。

「――ッ!?」

眩しい。
緑間は咄嗟に固く目を閉じると、すぐに自らの異変に気が付いた。
目が光を感じている。
恐る恐る薄目を開けると、そこはもう暗闇ではなかった。
夕日の差し込む部屋の真ん中に、高尾の姿が浮かんでいる。
透き通った顔に笑みを浮かべ、緑間に手を差し伸べて。

「やろうぜ、バスケ」

緑間は迷うことなく、触れられないその手を取った。
 
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