倉庫 汎用
□殺せなかった女の話
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サキは不安げな表情でアードライを見上げ、彼の汗を拭おうと手を伸ばす。
まさにその時だった。
「きゃっ!」
突如倒れかかってきたアードライの体に、サキはつい女性らしい悲鳴をあげながら床の上に転がった。
慌てて口を噤むが、出てしまった声はどうしようもない。
彼女が恐る恐る眼下のアードライに目を遣ると、幸いにも彼は固く目を閉じ、サキの体の上に全体重を預けていた。
重なる体が熱く感じるのは、決して羞恥のせいではないだろう。
「大尉?」
声を掛けてみるが、アードライから反応はない。
サキは逡巡した後、汗の浮かぶ彼の額にそっと手を添えた。
(なにこれ、凄い熱)
触れた肌はサキのそれより幾分か熱く、発熱しているのは明らかだった。
傷口から何らかの菌が入り込んだのか、或いは水を被ったことにより体を冷したのか。苦しげな呼吸音は、彼の体調が殊の外悪いことを物語っていた。
(どうしよう。何か熱を下げるものは――)
何か手を打たねばと、サキはアードライの下から這い出すと、真っ先に救急箱に飛び付いた。
箱の中身は包帯やガーゼが大半を占め、外傷を想定して詰められたことが窺える。その中に埋もれるように入っていた解熱剤を見付けたサキは、未開封のそれをひっ掴んでアードライに向き直った。
「しっかりして下さい、大尉。解熱剤です。飲めますか?」
封を切り、取り出した錠剤2粒を彼の手に握らせる。
しかしアードライは目を閉じたまま、時折体を震わせる他に反応を示さない。
「……駄目か。やっぱり誰か呼ばなきゃ」
ここが軍艦の中ならば、専属の医師が一人は乗っているはずだ。いくら管轄が違うといえど、流石に急病人を見捨てたりはしないだろう。
サキは扉に駆け寄ると、薄暗い壁を手探りでドアの開閉ボタンを押した。
だが、何故かドアはぴくりとも動かずボタンを押す度に小さなブザー音を返してくる。
「まさか、ロックされてる?」
押しても引いても開かないそのドアは、恐らく外側からロックされている。
開けてくれと頼もうにも、部屋の通信装置までロックされたらしい。どんなに呼び出しボタンを押しても、応じる者は誰一人としていなかった。
もはや助けを呼ぶ術はなく、この場で何かを為せるのはサキただ一人。
倒れ伏すアードライと、床に転がる解熱剤と。それぞれを交互に眺め、サキは決断した。
(これは借りを返すだけ。だから――)
誰に向けるでもない言い訳をしながら、彼女は解熱剤をアードライの口の中に無理矢理押し込む。次いで自身はペットボトルの水を一気に呷り、含んだ水を口移しで彼の口腔へと流し込んだ。
(お願い、飲んで!)
「ぅ……んっ」
彼女の祈りが通じたのか、アードライはなんとか解熱剤を嚥下する。
サキは安堵の息を吐き、すぐにそんな自分を嘲笑った。
(何やってるのかしら、私。こいつは私達の敵なのに)
彼のせいでエルエルフの作戦が失敗し、自分は敵地に取り残されてしまったというのに。
彼等がいなければ、学園の生徒が犠牲になることもなかったというのに。
「殺されるなら殺せ、か」
アードライは敵で、仲間を殺したドルシアの人間で、サキはこれまで幾度も彼等と剣を交え、迷いなく引き金を引いてきた。
それでもこうして一人の人間として向き合ってしまえば、敵である彼にいとも容易く情が湧いてしまうのだから困ったものだ。
「駄目だなあ、私」
サキは寂しげに笑い、汗で頬に張り付いたアードライの髪を優しく払った。