倉庫 汎用

□王子様とアイドルと
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彼(か)の国の冬は暖かい。
そう言っていたのは誰だったか。
この国で迎える4度目の冬にアードライは身を震わせながら独り歩いていた。
王太子である彼が留学のためにこの国を訪れ、思いの外寒い冬を過ごすのは今年が最後。
そんな帰国を間近に控えた彼に、同郷の友エルエルフは突如として或る試練を与えた。
曰く、「祖国で待つリーゼロッテ姫のために、幻の名店モロコフの焼き菓子詰め合わせBセットを買ってこい」。
敬愛する遠縁の姫リーゼロッテに土産を買うことこそ吝かではなかったが、モロコフなどという店の名をアードライは聞いたこともなかった。
半日パソコンと向き合い、どうにか所在住所だけは判明したものの、いざ現地へと向かった彼が一度も足を踏み入れたことのない土地で迷子になるのにそう時間は掛からなかった。

「……何故だ。道は合っているはずなのだが――」

大通りから一本入り、右へ左へとさ迷い歩くこと一時間。
もと来た道に舞い戻ってしまい、彼は地図を片手に途方に暮れていた。
彼は決して方向音痴ではない。
地図が読めないわけでもない。
住所を間違えたわけでもなければ、店が移転したわけでもない。
では何故辿り着けないのかと問われれば、それは偏(ひとえ)に彼の店が幻の名店であるからだろう。
ついに困り果てたアードライは、仕方なく町行く人に道を尋ねることにした。
いくら幻の名店と言えど流石に近隣住民なら知っているはずである。
果たしてその読みは当たり、幸運にも声を掛けた最初の一人が柏手を打って頷いた。

「モロコフならすぐそこよ。案内するわ」

有り難いことにその人物は、店のある場所まで連れて行ってくれると言う。
歩き疲れたアードライは、その好意に素直に甘えることにした。

「でも、珍しいわね。店の場所も知らない人がモロコフに用なんて」

快く案内を引き受けてくれたのは、この界隈に住むという未だ若い女性だった。
彼女は道中黙り込むのもなんだと、積極的にアードライに話を振ってきた。

「あなた外国の人よね?何処の国の人?」
「ドルシアだ」
「へえ。日本語上手いのね」
「ここに来てもう4年目だからな。流石に覚えた」
「ふーん。ねえ、ドルシアってどんなところ?」
「美しい国だ。街並みも、自然も、皆絵画のように美しい。私の愛する祖国だ」
「いい所なんだ?」
「勿論。画像もあるが、見るか?」

話の流れで携帯を取り出し、画像フォルダから故郷の風景を引っ張り出す。
中でも彼一番のお気に入りの一枚を見せると、彼女は人目も憚らずに感嘆の声をあげた。

「凄い、綺麗……」

小さな画面いっぱいに写し出されたのは、雪を被った故国の渓谷。
画像の隅にはアードライとその旧知であるエルエルフが写り込んでいる。
彼女は暫くその画像を眺めると、気になっていたのかエルエルフを指差してアードライに尋ねた。

「この人、あなたの友達?」
「ああ。私の最も信頼する友だ」
「その割にはあんまり楽しそうな顔してないけど」
「エルエルフは――彼は元々そういう顔なんだ」

決して愛想の良い方ではないエルエルフは、この時もにこりともせず画面の内に収まっている。
思えばアードライですら、彼の笑う顔などここ数年目にしていない。

「この人はドルシアにいるの?」
「いや、私と一緒に留学に来ている。向こうは勉学より私の監視が本分のようだが……」
「変わった友達なのね」

王太子であるアードライの護衛として、エルエルフもまたこの国に滞在している。
恐らく今も何処か遠くから、見知らぬ女と歩くアードライのことをしっかり監視していることだろう。
尤も、アードライもそんなことには慣れているため、今更私生活を悉(つぶさ)に観察される程度を気に留めることもない。
微かに感じる視線をそよ風が如く受け流し、彼は彼女に連れられて、知らぬ街を歩き続けた。


10分程すれば、あれだけ探し回っていた幻の名店は易々とアードライの前に姿を現した。

「はい、ここがモロコフ。看板がないから見付け難いけど、一度来たら二度と忘れない場所でしょう?」

彼の店は住宅街を抜けた先にあり、まるで民家の如くひっそりとそこに存在していた。
高台にあるこの店からは街を一望することが出来、先程彼がさ迷っていた場所が遥か下方に見てとれた。

「帰りはあの坂をずっと下って、大通りに出てすぐにバス停があるから、そこから駅に向かうといいんじゃない?」
「なるほど、そのようだ」

指差された道の先には、確かにもと居た場所へと続く大通りがある。
こうして上から眺めてみれば、これまで迷っていたことが馬鹿らしく思えるほど単純な道程だった。
それらを一通り説明し終え、彼女はひらりと身を翻す。

「それじゃあ、私はこれで」

道がわかれば、最早両者に用はない。
このまま手を振り別れるのが道理というものだ。
しかし彼は咄嗟に駆け寄り、「待ってくれ」と彼女の手首を掴んだ。
対する彼女は露骨に渋面を作り、何の用かと顧みる。
その表情に気圧されることなく、アードライは彼女の手を強く引いた。

「何かお礼をさせてほしい。もし時間があれば、この店でケーキを御馳走したいのだが……」
「いいわよ、お礼なんて」

彼の言葉をナンパと取ったのか、彼女は表情を固くして一歩退いた。
もしこのとき傍らにエルエルフがいたのなら、彼は額を押さえて溜め息を吐いたのだろう。だが生憎アードライを止める友はおらず、彼は構わず言葉を続けた。

「ならばせめて土産を受け取ってほしい。恩人を手ぶらで返したとあっては、我が国の沽券に関わる」

彼のあまりの物言いに、彼女は堪らず噴出した。

「国の沽券だなんて、道案内一つに随分と大袈裟ね」

彼が王太子だと知らぬ彼女にしてみれば、酷く現実離れした言葉。
口許を押さえて一頻り笑い終えると、彼女は整った顔に蠱惑的な笑みを浮かべて言った。

「私、この店のレモンタルトが大好きなの」

上目遣いで語る彼女の、それは遠回しなOKのサイン。
アードライはぱっと表情を明るくし、「喜んで」と破顔した。
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