倉庫 AZ

□人間になろう
2ページ/2ページ

 
吸血鬼は死体から蘇ったモンスター。この世にあるべきでない生き物だと、僕は考えている。
それでも世界は吸血鬼を新しい覇者に選び、人間を食物連鎖の頂点から蹴落とした。
僕が吸血鬼として世に蘇ったときには、人間は最早吸血鬼の奴隷として生きる存在に成り果てていた。
僕には人間だった時の記憶がない。
僕だけに限らず、吸血鬼というものは皆、蘇る際に生前の自分を失うものらしい。
そしてその失った人間性を取り戻すために、吸血鬼の多くは人間の真似事をする。
必要もないのに食べ物を口にしてみたり、愛や恋に落ちた振りをしてみたり。けれども結局モンスターが人間になれるはずはなく、僕はその滑稽さを笑うだけだった。

そんな僕に転機が訪れたのは、蘇って数日ほど過ぎた夜のことだ。
血を求めて夜道をふらふらと歩いていた僕は、藪の中に子供の姿を見付けた。
ぴくりとも動かないその子供は、見たところ少女であるらしい。既に事切れた彼女の遺体には、無惨にも大量の蛆がわいていた。
それ自体は珍しいことでもない。今の時代では稀に見る光景だった。だがその傍らに蹲り蛆を貪り食う少年の姿を見付け、僕は驚き言葉を失った。
少年の口許には、少女の血と屍肉がべったりと貼り付いている。おそらく始めは彼女を食らおうとし、何らかの理由で諦めて蛆を食べ始めたのだろう。
人の尊厳などありはしない。そんなものは、この少年の腹を満たさない。
生きる為に、彼はただ黙々と食べ続けていた。
浅ましいほどの生への執着。狂気すら感じる純粋なる食欲。
彼は僕達吸血鬼より、ずっとモンスターに相応しい。
だからこそ、思ったのだ。
このモンスターに人間性を取り戻させることが出来たなら、自分も人間性を取り戻すことが出来るのではないかと。
思い立ったその瞬間、僕は彼を連れ去った。
そうして一匹の獣であった少年は、吸血鬼の下僕へと立場を変えた。

人間に人間の生活を教えるのは大変だった。
食べること、服を着ること、体を洗うこと、眠ること。教えられたのはその程度のことで、これも正しく教えられたかはわからない。
書物と風の噂とで集めた付け焼き刃の知識で、少年はどうにか人間らしい生活を送るようにはなっていった。
育てた環境も良かったのかもしれない。
彼のために用意した家には、沢山の本があった。文字を覚えた彼は、暇な時間の全てを読書に当てて一日を過ごした。
絵本も文学書も実用書も専門書も、選り好みせず何でも読んだ。そのお陰か、彼は家から一歩も出ることなく、一人の人間としての己を確立していった。

彼が14になった時、僕は初めて彼の血を吸った。
彼自身が、自分の血を吸ってくれと頼んできた。
そうしなければ捨てられる。どの本で仕入れた知識なのか、彼は何故だかそう思い込んでいた。
世の人間は吸血鬼に養われて生きている。その生き方は2つ。人形となるか、餌となるかだ。
彼は後者を選んだ。その理由は僕にはわからなかった。
最初の吸血に、彼は痛いと泣き叫んだ。だが絶対に、止めてくれとは言わなかった。
初めて味わった彼の血は、決して美味しいものではなかった。それでも彼がこれで満足するのならと、僕は彼の血を餌に生きることを決めた。
腹が減る度に彼の血を吸い、見返りに食糧を与えた。
日々食糧を受け取る彼の腕に巻かれた包帯に気付いたのは、吸血を始めて一月ほど経った頃だった。
吸血鬼は傷の治りが早いから、吸血後に手当てをするなどと言う考えには思い至らなかった。
しくじったなと思ったが、彼が僕を責めることはなかった。
彼にとって僕は絶対的な支配者で、自身はその餌でしかなかった。
結局僕は彼にとって、単なるモンスターでしかなかったのだ。
自分も滑稽な吸血鬼の一人であると、そのとき僕は初めて気付いた。
気付いたことで、とても腹が立ってきた。
彼に知識を与えたことで、僕は彼にとってモンスターでしかなくなった。
彼の望みを聞き入れたことで、彼は人間から餌へと変わった。
間違えたのはきっと最初から。
だからやり直そうと決めた。
彼が求めた存在意義をリセットして、今度こそ餌でも人形でもなく、一人の人間として彼を存在させる。
そのために、僕は初めて彼からの吸血を拒んだ。
彼が絶望的な表情を浮かべても、気にすることはなかった。
もう彼の望みは聞かない。
もう選択を誤ることはない。

その、筈だったのに。

次の日、彼は寝室で遺体となって僕の前に現れた。
自らナイフで喉を裂き、ベッドを血に染めて死んでいた。
噎せ返るような鉄の臭いに、全身の血液がカッと熱くなった。
言葉にならない激情が、腹の中で暴れていた。
あれだけ生に執着した命が、何故自らに終止符を打ったのか。僕にはまるで理解出来なかった。

「……スレイン」

血に浸った床に足を踏み入れ、もう応えない彼の名を呼ぶ。
僕がつけた、彼の名前。
初めて与えた、彼の人間としての呼称。
血の気の失せた生白い首筋に牙を突き立て、僕は人間に別れを告げる。

「やり直そう。今度こそ」

初めて裂いたその皮膚に、呪いにも似た吐息を吐き掛け、僕はゆっくりと牙を抜く。

「人間になろう。一緒に」

額に張り付いた前髪を掻き上げてやると、腕の中で彼が微かに身動ぎをした。

「おはよう、スレイン」

さあ、今度こそ人間になろう。
僕と同じ、吸血鬼として。
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ