倉庫 AZ

□雪解けを待つ日
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スーパーで牛乳を1本購入し、自宅の玄関のドアを開ける。

「お帰りなさい、伊奈帆」

途端に聞こえるこの声も、今では僕の日常の一つ。
僕は「ただいま」と返しながら、靴を脱いで廊下に上がった。
スレインはキッチンから顔を出し、帰宅した僕の姿を確認する。地味なカーキ色のエプロンを着用した彼の手には、お玉と味見用の小皿が乗っていた。
廊下に漂う香りは味噌汁だろうか。そんなことを考えながら、腕に提げたビニール袋を彼の前に差し出した。

「はい、牛乳」
「ありがとうございます。今手が塞がってるので、そこに置いてて下さい」
「いいよ。僕が入れるから」

彼の身体を押し退けて、冷蔵庫の中に牛乳を仕舞う。
彼はそれを横目に見ながら、火にかけたままの鍋の前へと戻っていく。鍋の中はやはり味噌汁。異国育ちの彼にその味を教えたのは僕で、彼の作ったそれはいつの間にか完全に我が家の味になっていた。
今日もきっと僕好みの味に仕上がっているのだろうそれを見ていると、彼がこちらに背を向けたまま口を開いた。

「外は寒かったでしょう?お風呂沸いてますので、先に温まってきて下さい」
「…………」

何も珍しいことはない、僕達のいつもの流れ。
けれども改めて考えてみれば、確かに新妻感が無いこともない。
カームの言葉は、ひょっとすると的を射ていたのだろうか。
それを確かめるためにも、僕はスレインの肩を掴んで僕の方へと引き寄せた。

「伊奈帆?んっ……ふ」

振り返った彼の唇に僕のものを重ねて、触れるようなキスをする。
彼は驚き目を見開いていたが、何故か僕を押し退けようとはしなかった。
唇を離せば、彼と同居を始めた日のように不可解そうな顔をして僕を見る。

「どうしたんですか?」

嫌悪よりも疑問が先に来る辺り、彼は大概変人だ。

「新妻みたいだって」
「何の話です?」
「君の。カームが言ってた」
「はあ。それでですか?」

随分と色気のない反応だった。やはりこんな男が新妻などとは似ても似つかない。
僕は心中で再確認し、彼に背を向けて廊下へと出た。

「お風呂、行ってくる」
「あ、はい。ごゆっくり」

彼は特に引き留めるでもなく、すんなりと僕を見送った。


風呂から上がり、脱衣所で髪を乾かしてリビングに戻る。
既にテーブルの上には夕飯が並び、立ち上る湯気と食欲を刺激する香りが室内に広がっていた。
BGM代わりにつけられたテレビからはクリスマスソングが流れ、シャンシャンと騒々しい鈴の音が聞こえる。
僕は彼の前に位置取り、黙って炬燵に足を突っ込む。
彼も黙って緑茶を煎れ、僕の前へと差し出した。

「冷えるな」
「そうですね」

爆弾低気圧なんて物騒なものが日本上空を通過しているせいで、現在の新芦原の気温は3度。これからまだどんどん下がることだろう。

「明日は雪かな」
「平野部でも3センチの積雪になるそうですよ」
「地下鉄止まるな」
「学校はお休みになるかもしれませんね」

何年経っても、都市というものは雪に弱い。今年も無事交通網は壊滅することだろう。
もう明日は自主休講にしてしまおうか。そんなことを考えながら、僕は箸を手に取り両手を合わせる。

「いただきます」

味噌汁をすすれば、今日も変わらぬ我が家の味が身に染みた。

「美味しい」

素直な感想を口にすると、スレインは気恥ずかしそうに頬を掻いて「お粗末様です」とはにかんだ。
その表情にまたカームの言葉を思い出し、振り払うようにテレビに目を向けた。
時刻は7時を回り、公共放送は今日のニュースを手短に並べ立てる。
火事に事故に殺人に。今日もニュースは食卓には不似合いなものばかりだ。
そんな中で、番組は今日の特集へと切り替わる。

『――年前の12月、未だ記憶に新しい、火星との戦争が再開されるきっかけとなったあの日が近付いています』

重々しい口調で語り出す女子アナウンサーに、直感的に嫌な予感を覚える。

『当時皇女であったアセイラム・ヴァース・アリューシア暗殺未遂事件の起きたあの日を間近に控え、テロの現場となった新芦原には沢山の花束が供えられています』

ちらりと横目でスレインを見る。彼の感情を一切を殺したような顔で、ただ静かにテレビ画面を見据えていた。

『現在、現場となったこの場所には、戦争で犠牲になった地球人を追悼する慰霊碑が建てられています』

流れるVTRは僕達の気も知らず、悲劇を演出するための視覚情報をふんだんに盛り込んでくる。
泣いている女。爆破の痕跡が残る柱。花束に覆われた大理石のモニュメント。貼り付けられた写真。戦争という悲劇を最大限に脚色し、一つの作品として人々の前に写し出す。

『一週間後に予定されている、ロシア・ノヴォスタリスク基地跡での追悼式典には両政府の代表が参列するとあり――』

先に音を上げたのは僕の方だった。
耐え兼ねてチャンネルを回すと、スレインは表情一つ変えずに僕を見た。

「どうしました?顔色が悪いですよ」

何も気にしていない。そう言わんばかりの表情が、僕には逆に恐ろしかった。

「……スレイン」
「はい?」

彼は腹の中で何を思っているのだろう。
今のニュースを、どんな気持ちで聞いていたのだろう。

「……何でもない」

それを尋ねる勇気はなく、僕ははぐらかすようにしてご飯を口の中に詰め込んだ。
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