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□雪解けを待つ日
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戦争が終わって、ユキ姉が結婚した。
彼女は当然のように嫁ぎ先へと住まいを移し、結果的に僕は一人になった。
寂しくない、と言えば嘘になる。一人きりの家は酷く静かで、人口密度の下がった室内は心なしか寒かった。
何かと世話焼きだった姉がいなくなったことで、僕の生活は大分雑で不健康なものになった。日に一食しか食べない日もあれば、一日布団から出ない日もあった。
大学には入学したが、出席はほとんどしなかった。
そんな折、政府から僕にある依頼が来た。
保護観察処分になった戦争犯罪者の身柄を預かってほしい。そんな内容だった。
政府の施設で監視すればいいものを。そう思い一度は断ったが、アセイラム姫の強い希望によるものだからと政府は食い下がった。
万一のことがあればそちらで射殺しても構わないと銃まで渡されて、僕は渋々それを引き受けた。
政府と折衝をしていることすら、僕には面倒なことだった。

翌日、政府は驚くほどの早さで件の戦犯を僕のもとへと連れてきた。
僕に監視されることとなったその男は、疲れきった表情で頭を垂れた。

「ご迷惑をお掛けします。界塚伊奈帆さん」

そう口にする彼もまた、僕と同じように生きる気力を失っているようだった。
お揃いだな。そう言ってやると、彼は不可解そうな顔で僕を見た。
その顔が酷く懐かしく思えて、僕は自然と口許に笑みを浮かべながら、彼の前に左手を差し出した。

「よろしく」

それが僕、界塚伊奈帆と、スレイン・トロイヤードとの同居生活の始まりだった。


スレインは手のかからない男だった。
家事は一通り自らの手でこなし、食べ物の好き嫌いもなく、生活リズムは全てこちらに合わせる柔軟さがあった。
物欲はなく、娯楽にも興味を持たず、何処かに出掛けたいとも口にしない。
こちらが心配になるほど無欲な彼は、かつて銃口を向け合ったあの時とはまるで別人のように思われた。
それでも彼は人形のように無感動なわけではなく、人間らしく微笑むこともあった。
とかく彼との生活は楽で、互いに干渉しないことで負担は皆無と言えた。むしろほとんど外出しない彼に家事を一任できるのはとても助かる。
久し振りに大学へ顔を出し、そんなことをつらつらとカームに零せば、彼は「それじゃあまるで家政婦だな」と苦笑した。

「丁度いいんじゃねえの?その身体じゃ昔みたいに家事をこなすの大変だろうし、ひょっとするとセラムさんもそのこと考えてアイツを寄越したのかもしれないな」

その身体、というのは僕の怪我のことを指している。言うほど生活に困ってもいないのだが、僕は戦争で右足に障害の遺る怪我を負った。歩けないほどではないが、リハビリを終えた今でも引き摺って歩く程度には動きが悪い。
こうしてカームと並び歩く今も、彼に歩調を合わせてもらわなければたちまち置いていかれるだろう。
もっとも、自分と共に歩く人間は皆こうした気遣いを自然とこなすお人好しばかりだけれど。
そうして二人でゆっくりと町を歩いていると、不意にブブブブとポケットが震えた。携帯のバイブレーションだ。
震えるそれをポケットから取り出せば、画面上には「メッセージが1件あります」の文字が浮かんでいた。

「メール?」
「うん。噂をすれば」

開いてみれば、送り主はスレイン。
内容はなんてことのない連絡。牛乳を切らしたので買ってきてくれというものだった。
了解したという旨のメールを返せば、すぐさま「気を付けて帰ってきて下さいね」という気遣いの返信が届く。
それを確認して携帯を仕舞うと、何故だかカームがニヤニヤと気味の悪い顔をして僕を見ていた。

「前言撤回だな」
「?」

何を言い出すのか。首を傾げると、彼は僕の耳許に唇を寄せて囁いた。

「家政婦じゃなくて新妻みたいだ」

馬鹿馬鹿しい。
僕はわざとらしく溜め息を吐いて、その言葉を否定した。
カームはまだニヤニヤと笑いながら、心にもない口笛を吹いて見せた。
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