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□100年の契約
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「如何なさいましたか、スレイン様」

男の声に名前を呼ばれ、スレインはふっと意識を現実に引き戻した。
目の前には脆く崩れた煉瓦の壁。その向こうから顔を覗かせるようにして、よく知った青年がこちらを見ていた。

「お帰りなさい、ハークライトさん」

青年の名はハークライト。10年前、帝国から派遣された兵士の一人だった。荒廃したこの村で、生きている人間は今のところ彼一人。帝国に逃げ帰るかと思われた彼は意外にもこの地に残り、仲間の仇であるはずのスレインと共に暮らしている。

「どうでしたか、あの男の様子は」
「やはり狙いはスレイン様のようです」

問い掛けに答えながら、ハークライトが壁を飛び越えてスレインの傍らに並び立つ。

「如何なさいますか?」

スレインは彼の来た方角を一瞥した後、ゆっくりと頭を振った。

「……捨て置きましょう。彼も僕が見付からなければ帰らざるを得ない」

10年の沈黙を破ってこの地に足を踏み入れた災厄。それでもスレインのやることは変わらない。彼は最後に契約した少女の願いを叶え、この村に平和をもたらすのみだ。

「それよりもハークライトさん、無茶が過ぎますよ。死んだらどうするんですか」

ハークライトは人間だ。丸腰の彼に、兵器に対するだけの力はない。仮に武装していたとしても、彼は戦闘に慣れた兵士ではなかった。それがあの人型兵器に挑むなど、自ら死にに行くようなものだった。
それでもハークライトは頭を振った。

「私はもう死んでいます」
「社会的にはそうですけど……」

彼は確かに死んでいる。帝国での彼は既に戦死(Killed in action)として処理され、本国には墓まで用意されている。帝国軍は遺体の確認・回収にすら来なかった。二次、三次の被害を恐れて、派遣した37人全員をこの地に見棄てたのだ。
だからハークライトは帰らなかった。自らの意思で留まった。死んだ仲間を埋葬して、そのままこの地で悪魔と生きることを選んだ。
この場所は平和だ。世界で唯一、ここには戦争が存在しない。それがどんなに歪んだ平和だったとしても、この場所だけが両国の愚行の犠牲にならない場所だった。
そして何より、彼は悪魔の正体を知っていた。それが人殺しの残虐なる悪ではないことを知っていた。

「ご安心下さい、スレイン様。私はあなたの忠実なる下僕。主人を残して死ぬなど有り得ません」

故に彼は仕える先を変えたのだ。愚かなな一国家から、人の願いを叶え続ける白い悪魔へと。

「あの男、おそらく共和国の新型兵器です。スレイン様が見付からなければ、この村を焼き払うかも知れません」

スレインは僅かに眉を顰めた。この村が焼かれるのは、彼にとっても望むところではない。

「いざとなれば私が契約致します」

ハークライトの申し出に、スレインは驚いたように顔を上げた。

「あなた様のこの村を守るために、この命が役に立つのなら」

確かに彼と契約を結べば、人の形をした兵器を打ち倒すことは出来るだろう。この村の平和を守ることは可能だろう。
だが、スレインは頭を振った。

「ダメですよ、ハークライトさん」

この地で生きるただ一人の人間に、彼は諭すように静かに言った。

「あなたは僕のために命を使ってはいけない。どうかそれだけは、お願いします」

懇願にも似たその言葉に、ハークライトは肯定も否定も返さなかった。
ただ拳を握り締めて、悪魔と呼ばれた少年をじっと見下ろしていた。
 
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