倉庫 GC

□迷走
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『親愛なるアンチボディズの諸君、ワクチンDを接種せよ』

スピーカーから響く嘘界の声を合図に、アンチボディズのクーデターは幕を開けた。
ちくりと肌を刺す痛みも、これからの惨劇を生き残るには安い代償だ。
空になったビンを放り捨て、ローワンは右手に銃を持つ。
久しぶりに握る凶器の重さに、彼は知らず口角を吊り上げた。

「それでは出発しようか」

手の甲で眼鏡を押し上げ、彼は真っ直ぐに前を見据えた。



扉を開けると、まず飛び込んできたのは悲鳴だった。
結晶化する体に泣き叫ぶ者、自身も発症するのではと怯える者、訳もわからず逃げ惑う者。それらの発する声が、閉ざされた空間に恐怖と絶望を蔓延させていた。
その一歩外の世界で、ローワンは静かに左手を持ち上げる。

「た、助け――」

眼下では下半身失った青年が、両腕を使って懸命に這っている。苦痛に染まったその瞳がローワンを捉え、救いを求めて手を伸ばす。
眼鏡の奥からそれを見据え、彼は青年に柔らかく微笑んだ。

「ああ、神よ……」

助かるのだと、青年は絶望に満ちた顔にじわりと笑みを滲ませる。

「撃て」

その顔がはぜると同時に、閉ざされた空間には新たな恐怖が爆発した。
ウイルスと、銃弾と、折り重なる人の残骸と。すぐ傍らにある死から逃れようと足掻く人々を、アンチボディズの兵士達は容赦なく蜂の巣にしていく。
それはもはや戦闘などではない。虐殺だ。
抵抗も敵わず倒れていく人々を尻目に、ローワンは一人堂々と歩を進める。散乱する結晶を踏み砕き、転がる死体を跨ぎ、そこにある死を微塵も感じさせない静けさで。
時折血溜まりに靴を汚し、死体の服でそれを拭う。
まるで自分以外の全てが立体映像だと言わんばかりに、彼の表情に動揺はなかった。
その彼の足を、不意に血塗れの手が掴んだ。

「貴様等の、仕業か!」

手の先をたどるように視線を動かせば、憤怒の形相で彼を睨む男の顔がある。
既に銃弾を浴びた後であろうその男は、腹からおびただしい量の血を流しながら彼の足にすがり付いた。

「こんな、ことがっ……赦されると、でも――」

瀕死の有り様で自身を糾弾する男を、彼は酷く冷めた目で見下ろす。

「離してくれないか。人を待たせているんだ」

手間をかけさせるなと言わんばかりに溜め息を吐き、彼は渋々その場で腰を屈める。
そして自身の脛を掴む指の二、三本を摘まむと、何の躊躇もなくそれをへし折った。
男は堪らず手を離し、獣のような雄叫びをあげて転げ回る。
それにはもう目もくれず、ローワンは思い腰をあげて再び歩き出す。
銃声と、靴音と、硝子が割れたような派手な音。それらがぴたりと止んだとき、彼はようやく自らの歩いてきた道を振り返った。
そこにはもう、彼等アンチボディズの他に立っている者はない。
赤い雨の止んだ道で、彼は静かに微笑みを浮かべた。

外には不快なメロディが、死を伝搬するように響き渡っている。
 

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