倉庫 GC
□スパゲティ狂想曲
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ダリル・ヤンは後悔していた。
テーブルに鎮座する、ケチャップの載った焼きそば麺を前にして。
「なんとか形にはなったな」
誇らしげに額の汗を拭うのは、この焼きそばを調理した張本人、ローワンである。
「冗談でしょ……」
「ん?どうかしたか、少尉」
スパゲティが食べたい。
そうせがんだダリルのために、ローワンはミートソーススパゲティを作った―――はずだった。
出来上がるまでくつろいでいろと言われ、の言葉を信用してテレビを観ていた数分前の自分を、ダリルは今になって憎みたくなった。
「あのさ」
「何だ?」
「もしかして、僕のこと嫌い?」
目の前にあるこれは、誰がどう見てもミートソーススパゲティではない。
遠巻きに目を細めて見ればなんとなくそう見えないこともないが、絶対にミートソーススパゲティではありえない。
悪意以外の何を加えればこんな料理が出来上がるのか、彼には皆目見当もつかない。
けれどローワンはきょとんとした顔をして、ずり落ちる眼鏡を指先で押し上げた。
「嫌いなら部屋にあげるわけないだろ?何言ってるんだ」
「じゃあこれは何?」
「スパゲティだが?」
あくまでもこれをスパゲティと言い張るらしい。
その顔に悪意の欠片もないことがわかるからこそ、ダリルは溜め息を吐かずにはいられなかった。
「期待しないとは言ったけど、さすがにこれは予想もしなかったよ」
「………?少尉の国では、スパゲティはこれじゃないのか?」
「たぶんどこの国でもそれじゃないよ」
「またまたー」
ローワンとてスパゲティを知らないわけではない。
ただ壊滅的に料理の常識に疎いのだ。
色形が似ていればきっと味もそんな感じに違いない。そう漠然と捉えたがためのこの惨状だった。
「百歩譲ってケチャップは許すよ。許さないけど。でもさ、焼きそば麺はないよ。ありえない」
「麺なんてどれも似たようなものじゃないか」
「全然違うから!!」
力任せにテーブルを叩き、ダリルはローワンを叱り飛ばす。
「こんなのがスパゲティなんて認めないよ!こんな、食品サンプルみたいな代物っ!!」
衝撃でグラスが倒れ、ミネラルウォーターがテーブルの上に広がる。
叱られたローワンは顔を伏せ、沈んだ声音で呟いた。
「そう、だよな。食べたくないよな」
倒れたグラスを立て直し、彼は取り繕うように笑った。
「悪かった。今から出前とろう」
水浸しのテーブルに手をつき、ケチャップ焼きそばの皿を下げようとする。その姿に、ダリルは何か、まるで自分が屈したような感情を覚えた。
その感情は彼の体をつき動かし、彼の右手はローワンの、皿を持つ右手を掴んだ。
「食べるよ」
ローワンは一瞬呆けた顔をし、次いで驚いたように目を見開いた。
「だが―――」
「食べるって」
「無理するな。好きなの頼んでいいぞ」
「だから食べるって」
「これの始末なら自分でするから」
つまらないことに維持を張っていると、互いが理解していた。それでも引き下がることはできなかった。
それは矜持か気遣いか。
いずれにせよ、ダリルの苛立ちはすぐに限界に達した。
「しつこいな!」
ローワンの手から皿をひったくり、
「食べるって言ってるだろ!」
彼の眼鏡を掴んで放り捨てた。
「なっ、ダリル!?」
眼鏡の着地する音に、ローワンは慌ててそちらにしゃがみ込む。
その隙にと、ダリルは真っ赤な焼きそばを指で摘まんで口に放り込んだ。
「………何これ」
味は焼きそばでもケチャップでも、もちろんミートソーススパゲティですらなかった。
「甘いんだけど」
ダリルの呟きに、眼鏡まで手を伸ばしかけたローワンが振り返る。
「ああ、隠し味に練乳を入れたんだ」
そう言って彼が指差した先には、空になるまで握り潰された練乳のチューブが転がっていた。
「…………」
「ダリル?」
何も言わず、ダリルはつかつかとローワンのもとに歩み寄る。
そして唐突に、床に転がる眼鏡に足を降り下ろした。
「ああっ!?」
情けない声を出すローワンを無視し、足は何度も眼鏡を踏み、破壊する。フレームが曲がろうと、レンズが砕け散ろうとお構い無しに。
「こら!ダリル!!やめろ!」
「馬鹿にしやがって!やっぱり僕のこと嫌いなんだ!ありったけの練乳入れるくらい嫌いなんだ!!」
「何を言ってるんだ!?ああっ!だから踏むなって!」
足にすがり付いて懇願するローワンの声が聞き入れられたのは、スパゲティになるはずだったものがすっかり冷めた頃だった。