倉庫 GC

□アフターファイブ交声曲
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「今から夕飯かな?」
「あ、はい」
「偉いなぁ。一人暮らし?」
「え、いや、母親と二人……です」

一応の危機は脱したが、いつどの拍子でこの男が集のことを思い出してしまうかわからない。
早くこの場を離れたい集の気持ちとは裏腹に、男は優しそうな顔で彼に言葉を投げ掛けてくる。

「じゃあ今日はおつかいかな?」
「いえ、今日は母がいないので……」
「自炊!?凄いなあ。料理できるのか」

GHQに捕らわれたあの日、この男は何一つ言葉を発さなかった。義眼の男の傍らに立ち、じっと集を監視していた。
それが今はどうだろう。
聞いてもいないことをべらべらと喋り、楽しそうに笑っている。

「私が君くらいの歳の頃は包丁も握ったことがなかったよ。今も料理は得意じゃないけどね。この前なんか、同僚にせがまれてスパゲティ作ったら眼鏡壊されちゃってさ」
「眼鏡、ですか……?」
「中に練乳入れたのがまずかったみたいで。隠し味に砂糖って聞いたんだけどなぁ……」
「はあ……」

スパゲティを作る過程でなぜ隠し味を入れようとしたのか。砂糖と聞いたにも関わらず練乳を投入するに至った理由は何なのか、集には皆目見当もつかない。
眼鏡を割られるような酷い味になることくらい、素人でも予想できそうなものだ。
故に集の中には、ひょっとしてこの男はバカなのではないかという憶測が渦を巻いていた。

「だから今日はリベンジ。お詫びに郷土料理を作ろうと思って」

この男の郷土にどんな料理があるかは知らないが、きっと食べられるものにはならないだろう。
再び食べさせられるらしい彼の同僚と、やはりまた割られるであろう眼鏡に心中で合掌し、集は流石に話を切り上げようと試みる。

「時間、大丈夫ですか?待たせてるなら急いだ方が――」

男は思い出したように店内の時計を見、端から見る集も驚くほどに目を剥いた。

「まずい!もうこんな時間か!」

時刻は午後5時を過ぎた頃。
そろそろ支度を始めなければ夕飯の時間は相当に遅くなる。

「ああ、でも君もタラが……」
「僕はいいんです。リベンジ、頑張ってください」

心にもない励ましを口にし、これ幸いと男の背を押す。
彼も特に遠慮はせず、集に言われるがままスケソウダラの切り身をカゴに放り込んだ。

「ありがとう。それじゃあ、私はここで」
「はい」

やっと解放される。
集はほっと胸を撫で下ろし、自分に手を振る男に笑顔を返す。

「さようなら、桜満集君」

男は変わらぬ優しそうな顔で、その場に凍りついた集を嗤った。
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