短編系2

□錆びた花
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昨日もあの人はコーヒーをこぼした。
あついあついと、そこらに当たり始め、その日は2人の給仕の女の子を泣かせた。
それが愛おしくて、かわいらしく感じた。
今日、あの人はまたコーヒーをこぼした。しばらく一人で騒いでいたが、周りに誰もいないことに気づき、仕方なく自分で片づけを始めた。
落としたカップは無残に割れ、その破片で案の定、彼は手を切ってしまったようだ。
滴る血の多さから、意外と深く切ってしまったのがわかる。彼は子供のように叫び、目に涙をためた。
その悲鳴を聞きつけた給仕があわてて廊下から彼に駆け寄る。彼は何が気に食わなかったのか、給仕を殴りつけた。何度も何度も。
可哀想な彼女。
―きっともう、恋人は作れそうにないね。
今度は給仕の悲鳴を聞きつけたCP9の連中がやってきた。ルッチと、それからカリファ。私は彼らに見つからないように、そっと覗き窓を閉めた。
彼らは感がいいものね。いくら私でも、彼らには見つかってしまう。
私は、長官の騒いでいる隣の部屋からそっと抜け出した。
そして、しらっとした顔で彼のいる部屋を、今度は扉から覗いてみる。部屋は、花の香りと、鉄の香りが入り混じっていた。
ルッチが私に気づいて、こちらに来るように指示する。従いたくはないのだが、何分私も給仕であるためそれはできないのだ。

「なんでしょう、ルッチさま」
「これを片付けろ」

ルッチの横からちらりとその惨状がうかがえた。まあ、さっきも見ていたのだが。
ああ、可哀想ね。ギャサリンの次に美しいなんて言われていたあなたがね。その顔もとっても素敵だけれどね。

「了解しました。すぐに」

彼女の肩を抱き、給仕室まで引きずっていく。ルッチが言った片付けろ″は、つまり、汚物の分泌原因である彼女のことを指すのだ。決して、床をふけ、なんて意味ではない。
彼女の仲間の給仕たちは、その現状に悲鳴を上げた。まあ、びっくりするくらい喧しい。私は彼女たちにそれを託すと、すぐにモップと塵取りを持って戻った。
彼の顔を見損なってしまっていたことに気付いたから。ああ、あの憎たらしい猫の命令さえなければもっと彼の顔を間近で見ることができたのに。
現場に戻れば、まあ、彼は期待通りの惚けた顔で、床に座り込んでいた。残念なことに、まだ猫はいた。カリファはどうやら、あまりの現状に帰ってしまったのだろう。しかし、残念。この猫さえいなければ、もっとじっくり彼の顔を見れたのに。

「失礼します」

そう一言だけ言って、私は床をぬぐった。乾く前だったから案外簡単にその場はきれいになった。それを確認してか、ルッチはどこかへと立ち去って行った。
最後にちらりと彼の顔をみて、私もその場を離れることにした。

「それでは」

部屋のドアに向かって歩みを進める。彼の顔は白く色がなかった。

「おい、待て」

彼が私を呼び止めた。

「なんでしょう」
「お前、だれだ?」

私は振り向かなかった。

「給仕でございます」
「嘘だ!お前なんていなかった」
「お戯れを」
「お前が来てからだ。俺が可笑しくなったのは」

おバカな人ねえ。本当に、救いようのない子だ。

「誰かの上に立ちたい」
「何を、」
「富がほしい。名声がほしい。権力がほしい。力がほしい」
「お前、」
「自分が絶対の世界がほしい。罪を問われない自分の城がほしい。何物からも傷つけられることない守るための壁がほしい」

今度はちゃんと振りむいてやる。彼は呆然と、宙を見つめていた。なんて愛おしいの。

「叶えてあげられるのよ」
「お前なんかに、」
「あら、ずいぶんと無粋なことをお聞きになるのね。
 私はあなたを愛していると言っているのよ」

こつこつ。ヒールを鳴らしながら彼に近づく。

「大丈夫、すぐに全部忘れちゃうから。ちゃんと、望むことはかなえてあげるから」

私は彼をまるで赤子に接するように抱きしめた。
ふわりと、部屋に飾ってあげた花の香りがした。



錆びた花







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