短編系

□苦痛な食卓
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美しい―
あの人は何時もそう言い、私を撫ぜるのです。私はそれが、とても、とても―

静かな食卓。かちゃかちゃという音すらも聞こえぬ、静かな食卓。
テーブルの上にはシンプルな和食が置いてあります。この家には50インチのテレビもありますし、最新型の音楽プレイヤーもあります。なのに彼はそれらを嫌うのです!

「今日は遅くなるよ。戸締りには気をつけることだ」
「はい、行ってらっしゃいませ」

食事の終わりに彼は何時もそう仰います。
何時もは後片付けをしたら、本を読みますが、今日は久しぶりにテレビを見ることにしました。
ながれる無機質な音声をただ耳に入れていきます。なんて、なんてつまらないんでしょう。

枷をはずしてほしいわけではありませんし、自由になりたいわけもはありません。
私は愛が欲しいのです。そのためにはどんな苦労も厭わない!

いつの間にか日は暮れ、空は夕闇を映していました。彼は今日も帰ってこない。きっとそうなのだと思っていました。
何時もとは違う食卓。今日はやけに会話をしたがります。毎日一応用意しておいたもう一人分の食事は0時を過ぎれば何時も通り廃棄される予定だったはずでした。

「お早いお帰りで」
「ああ、仕事が早く済んだのでね。今日も本を読んでいたのかね?」
「いいえ、今日はテレビを見ていました」
「ほう?珍しい。良い息抜きになっただろう。卿が読む本は少々専門的すぎる」
「はい」

私がそう返事をすると彼は、上機嫌にほほ笑んで自分のグラスと私のグラスにワインを注ぎました。

「卿は聞かないのかね?」
「何を、ですか」
「私が何時も遅くなる理由についてだよ」
「勝手ながら、予測は付いております」
「ほう…では卿は知っていて、何も言わないのかね」

何を知っていて、何て言わないのです。狡賢いこの人の事。わかっていて云わないのでしょう。

「久秀さまの愛がそうであるように、人には様々な愛の形が御座いますから」
「なるほど。其れが卿の愛の形だと?」
「ええ」

久秀さまは私の答えを聞いて高笑いなされました。それから、卿は良くできた妻だと頭を撫ぜてくださいました。
私はそれが嫌で嫌でたまらないのです。
久秀さまは少々加虐癖があるくらいが丁度いいのです。

貴方が帰らない時間。貴方が他の女を抱いている瞬間。貴方が私を思わない時間。

それこそが私の幸福なので御座います。
これこそが私の愛なのです!


苦痛な食卓

苦痛に浸ることこそが愛なのだと彼女は言う






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