短編系

□人魚姫の静寂
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「いやな女ねえ」

そういった相手は、コーヒーを飲みほした。

「本当に、そう思う?」
「いや、まさか」
「そうよ、よくやったわ」
「ええ、あなたはそれでいいの」
「かわいい私たちの妹」

五人の姉に囲まれ、育った彼女は大変奥手であった。
なにも姉たちが悪いわけではない。ただ、彼女は声も控えめにしか出せないし、姉妹たちの間で一際小さな体を持っていた。

「あら、もうすぐ時間よ」
「彼が来るんじゃないの」
「ほら、行っておいで」
「忘れ物はない?」
「さあ、早く」

五人の姉にせかされ、家を飛び出ると彼の姿がそう遠くはない距離に見えた。駆けよれば、手を振り、相手も一層早くこちらに近づく。

「遅くなっちまってすまねえ」
「ううん。大丈夫、さあ行きましょう」

腕を組み、他愛もないやり取りを繰り返す。目的地などなく、当てもなく歩くのが彼は好きだ。私はそんな彼の横顔を見ながら歩くのが好きだ。
街中を歩き、大きな通りに出て、小さな小道を抜けて、植物公園にたどり着いた。元親は私を気遣い、一休みしようと声をかけてくれる。それに甘え、私はベンチに腰掛ける。

「なんか飲み物買ってくんが、ほかに何かほしいもんあるか?」
「元親に任せるわ」
「おう、んじゃあ待ってろよぉ!」

元親の背中を見送る。
彼と出会ったのは、いつの日かえらく風の強い、いや、雨も降っていたからきっと嵐の日だった。海に姉さん達と遊びに来ていたから、多分夏。同じく彼は大学の友人たちと遊びに来ていたそうだ。
午後からの急な嵐に、彼と大学の友人たちはクルージングをあきらめ、海から引きあげる途中だった。だが、予想外の大津波に彼は足を取られ、海に投げ出されてしまった。
その様子を見ていた私は、急いで姉さんたちに伝え、小さな船を出してもらった。本当なら船なんか出せないようなひどいありさまだったのだが、運よく私たちは彼を助けることに成功した。
意識はなかったし、すぐに地元の病院に運ばれた彼が目を覚ましたと聞いたのは、私たちが海の別荘を離れた後だった。

ええ、本当に、よくもこんないやな話があったものだわ。

彼がおぼれるのを見ていた人がほかにも居たようで、彼女は卑しくも毎日足しげくお見舞いに通ったときいている。
こんなに笑えない話はないわ。彼女は、あっという間に元親に結婚の約束を取り付けた。そのことを姉さんから聞いたとき、私はただ泣いた。ひたすらなき、姉さんたちに縋り付いた。姉さんたちはそんな私にいやな顔一つせず、一緒にどうすればいいのか考え、助言をくれ、一緒に行動してくれたのだ。
簡単だった。
元親の家は古い名家で先祖は名のある武士、今は大地主だ。彼女はそれが狙いだった。そういうことだ。
彼女の正体がわかれば罪悪感も減る。単純だと姉さんたちは笑うがきっと姉さん達もそう思っているに違いないのだ。
事を済ませたら、あとは転がる石のように、身を任せるのみだった。
彼女が失踪して1か月、まるでするすると紐が解けるかのように、彼女の正体が、明らかになってゆく。
あれだけ彼女をもてはやした元親の周りの友人たちも、一斉に彼女を非難し、私に群がる。なんて卑しい連中だ。それでいて薄っぺらい。まともな奴など居やしない。
だが、彼女と結婚の約束まで取り付け、なおかつ彼女が失踪し、その正体をしり、けろりとした顔で私に今までの非を詫び、愛を囁いてきた彼はきっとまともではないのだろう。
彼にとっては助けたのは誰だってよかったのだ。彼は私が好きなのではなく、自分を助けてくれた女が好きなのだ。
私はそんな彼でも好きなのだ。遠くで手を振っている彼が見える。帰ってきたら、彼がこっそりと予約したレストランで左のポケットに入っているものを差し出してくれるに違いない。
誰もかれも最初からまともでなかった、ああ、だって私はそれを受け入れるつもりなのだから。



人魚姫の静寂


(悲恋は赤ずきんだけで十分だったはずなのに)

彼女はこれからもきっと王子の無常さに縛られ、姉たちの真綿にくるまれながら生ぬるく幸せに生きていくことでしょう
おろかにもそれが幸せだと信じて
めでたしめでたし






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