シカキバ

□降り続く雨
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横殴りな雨が、傘を持つ手を濡らしていく。

ひっきりなしに雨粒を落とす空をすがめた目で見上げた犬塚キバは、一人小さく溜め息をついた。
ここ最近、連日続く任務に心身共に疲れていた。
しかし、休ませる暇など与えない様に五代目火影、綱手は調査資料の山を押し付けてきた。
その上姉のハナに上乗せして雑用を任され、漏れる溜め息を隠せなかったのだ。

ただ、疲労は溜まるが、忙しさにかまけていられるのは正直キバにとって都合が良かった。
考えなくて済むのだ。
少し前から急に距離の出来た、シカマルの事を。

そう言ったところで、確実に悪いのは自分だ。
勝手に覗いて動揺して、逃げ出して、勝手に気まずくなってあからさまに避けた。

相当な迷惑を彼にはかけていると思うし、シカマルが誰と付き合おうが、キバにとって全く関係ない。
少なくとも、そのはずだ。

「結局俺は、どうしてーんだよ…。」

溜め息に混ざった言葉は降り注ぐ雨に紛れて消えた。





人通りもまばらな住宅街の更に一本奥へ入った道は、雨の降る音だけが静かに響く薄暗い道だった。
犬塚家への近道であるその道は、普段赤丸の散歩では滅多に通ることがない。
雨が降っているから。
ただそれだけの理由でその道に足を踏み入れたキバは、直後、後悔した。

キバから5mと離れていない張り出した屋根の下に、奈良シカマルがいた。


傘を持つ手に力が入る。
先に進むことも、踵を返すことも出来なかった。
足を投げ出して、だるそうに雨の降る空を眺めていたシカマルがやがてゆっくりとこちらを向いた。

意味も無く肩がこわばって、一歩足を引きかける。
そのまま行ってしまえば良かった。
思った時には、もう遅い。
シカマルは立ち上がり、こちらへ歩いてきた。
大粒の雨がシカマルのベストの肩口をまだらに染めていく。
シカマルの頬を流れ落ち、顎から垂れていく雨粒を、キバはただ何も言えずに眺めていた。

「キバ」

傘の先から溢れ落ちた雨粒が、人差し指にかかる。
眉間に力が籠るのが分かった。

「黙ってんな。…お前、最近何なんだよ。変だぞ。」

シカマルの表情はひどく険しくて、思わずキバは目をそらした。
何と言えば良いのか分からない。
あの時感じたもやもやした気持ちが結局何だったのか、キバには見当もついていなかった。
ただなんとなく分かったのは、腹立たしかった事と、ほんの少し、寂しい様な気がしたことだけだった。

「…別に何もねーよ。」
「何も無い訳ねーだろ。」

逃げる様に小さく放った言葉に、シカマルは苛立った様に切り返してきた。

「あん時、何でお前が逃げ出したのか、俺には分かんねぇ。それから、何で避けられてるのかも。」
「…邪魔しちゃ悪いと思ったんだよ。」
「邪魔って、何の。」
「砂のねーちゃんだよ!お前告白されそうなのに、俺がいたら邪魔だろ!」
「だから何の話―――」

誤魔化すな、と思う。
あの時のテマリの表情、まさしく告白する時のそれだった。
あのまま彼女の気持ちに気付かないなんて、そんな事あり得ない。

「…テマリさんと付き合うんだろ?誤魔化さなくていいぜ、俺とお前の仲だろ。」
「は?何言ってんだお前、俺は一言もそんな事…」

いい加減正直に言えばいい。
苛立ちは隠し切れていなかった。

「付き合うなら付き合うって言やぁいいだろ…」

何に固執しているのか、そう冷静に考える理性的な部分は、いつの間にか上ってきた血で埋め尽されて、抑える枷の外れた口からは止めど無く言葉が溢れ出した。

「……見たんだよ、お前とテマリさんが一緒にいるとこ。それで、お前が火影様から出た昇格の話を蹴ったって、立ち聞きしちまった。」

やっぱりか、という顔でシカマルが眉をひそめる。

「お前すっげぇ面倒くさがりだから、昇格の話はお前らしいし、驚かなかった。」

言葉はしっかり区切り、口調もさほど激しくないにも関わらず、頭の中はべっとりとペンキを塗られた様に真っ赤で、視界はぼやけてかすれていた。

「確かに勿体ねぇかも知んねぇけど、それはお前の意思だろ。でも、…テマリさんはお前に昇格してもらいたがってた。あの人の表情見てたら…」

自分の言葉が何処へ向かおうとしているのかわからなかった。
ただ、どんどん体は苦しくなり、持ち上げていた傘はその内肩で支えるだけになった。

「…分かったんだ。」

シカマルは何が、とは聞かず、ただじっとキバを見つめていた。
雨足は更に強くなり、シカマルの体は既に濡れきっていた。
自分は傘を持っているのに、それを彼に差し出す事が出来なかった。

「俺はそれが何だか気に食わなくて、自分でも分かんねぇけど、テマリさんに振られて欲しいとか、そういうんじゃなくて、お前が誰かとそうやって仲良くなんのが、俺は……!」

言いかけたところで、キバは口をつぐんだ。
撒くし立てたその先に、自分は何を言おうとしていたのか。
シカマルの顔を見ることも出来ず、次の言葉を見つけ出す事も出来なかった。
ただ、自分の言葉が、気持ちが、何処かとんでもない所へと向かっているのが、
怖かった。

「…何でもない。」

熱くなった頬が髪で隠れるようにうつ向いて、それだけを絞り出した。

「また逃げんのかよ。」

冷たく投げつけられた言葉に息が詰まる。
寒気がするのはきっと雨の所為だけではないだろう。

「お前が何うじうじ悩んでんのか、俺にゃ分かんねーけどな、俺はあいつと付き合うつもりなんざさらさらねぇぞ。」

その言葉でキバは胸の内につかえていたものの一つが取れて落ちた様な気がした。
そして同時に愕然とした。

「…いろいろ、うざいこと言ってごめん、悪かった。」

とにかく今はここにいたくない。
シカマルに背を向けると、腕を掴まれた。

「なんなんだよ、お前!訳分かんねぇっての!」

腕を掴んだ手の冷たさに、一瞬キバは息をのんだ。

「何かあるならちゃんと言えよ!お前、最近本当にどうしたんだよ?!」
「…何もない。本当に、何もないから。」

掴まれていた手を振り払う。
シカマルの顔を見ることは出来なかった。
そのままキバはシカマルに背を向けて走り出す。

「キバ!!」

あの時と同じ様に、名前を呼ぶ声には振り返らなかった。




路地を抜け、角を曲がって、走り続けた足がもつれるまで、キバは止まらなかった。
傘を差していたけれど、いつの間にか体はずぶ濡れになっていて、思わずキバは身を震わせる。
確かに寒いと思っているのに、動悸の治まらない体は熱がある様に熱かった。
その場に傘を投げ捨てて、キバは両手で顔を覆った。

「…俺…」

胸が切れそうに痛い。
シカマルの言葉で気付いてしまった事実は、紛れもなくキバの胸を締め付けていた。

『俺はあいつと付き合うつもりなんざさらさらねぇぞ。』

自分のまくし立てた言葉の行き先が、今なら分かる。
シカマルのあの言葉に、自分は確かに安心したのだ。
そして自分が何を望んでいたのかも、同時に悟った。
雨に濡れてじっとりと体に張り付いた服が体温を奪っていく。
それでも眉間だけは熱かった。

「…どうしたらいいんだよ…」

認められない事実に泣きたくなった。
気付いたが最後、胸の中はその事実で埋め尽くされる。

あいつが好きだ。



雨は当分止みそうにない。




End



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