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□あなたが
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『午後8時23分、もうここの所ずっと酸素マスク無しではいられない状況だったらしいわ。…火影様も、長く持った方だって…』
深夜、紅からの電話に、その場に凍りついたまま動くことが出来なかった。
午後8時23分。
自分が病室を後にして30分も経っていなかった。
そして、自分が病室を訪れた時、キバは酸素マスクをしていなかった。
『8時位から容体が急変して…ご家族は何とか間に合ったらしいんだけど…本当に、あっという間だったらしいわ。』
気丈な彼女の落ち込んだ声で語られる言葉は、シカマルをどんどん後悔で押しつぶしていった。
『今日、突然キバが酸素マスクを外したいと言ったそうなの。本当にいきなりのことだったらしくて…外した直後に来客があったみたいだけど、名前までは聞いてない。そこまでして元気な姿でいようと思うなんて…あの子…』
上司の声に嗚咽が混ざったが、耳には入ってこなかった。
俺の為に。
その事実が体中を駆け巡り、麻紐のように首を絞めた。
そんな無理をさせて、俺と話をする為だけに。
命を削って笑ってくれた。
そんなあいつの気持ちを俺は分かってやれなかった。気付いてやれなかった。
まだ大丈夫そうだ、なんて安心して。
自分に反吐が出そうで歯をぎりぎりと噛み締めた。
『…シカマル?ちょっと、聞いてるの?』
受話器を置くこともせず、
体はただ彼の元へと駆け出していた。
遺体は通夜まで見ることが出来ない。
病院に着いて第一に言われた言葉に肩を落とし、待合室の古ぼけた椅子に倒れ込むようにして腰掛けた。
キバの傍にいた記憶の断片が駆け抜けて行くようだった。
走馬灯とは、こんなものなのかもしれない。
組んだ指をじっと見つめて、熱を持った眉間に皺を寄せる。
不意に足音がしたが、顔を上げる気力は無かった。
「奈良、シカマルか。」
自分の名を呼ばれ、ただ首肯して応えた。
「預かっているものがある。」
その言葉に顔を上げると、そこに立っていたのは一度だけ見かけたキバの姉、犬塚ハナだった。
眼前に突き出されていたのは、四つ折りにした一枚の紙だった。
「中は見ていない。ただ、お前にとだけ言われている。…キバにとって大切な人らしいな、お前は。」
返す言葉が見つからなかった。
ただ、涙を流さずにいる彼女の気丈さに脱帽し、その手から紙を受け取った。
薄い便箋は中の文字が透けていることもなかった。
躊躇う自分に叱咤して、便箋の一端のに手を掛ける。
『奈良シカマルへ
長ったらしい言葉は苦手だから単純に伝えることにする。
本当に、大好きだ。
俺のこと忘れないで、っていうと束縛してるようだけど、やっぱあんまり忘れてほしくないな。
でもお前には幸せな人生歩んでもらいたいし、さみしい気もするけど俺のことは気にするなよ。
お前頭いいから、いろんな事考えて悩むだろうけど、あんま考え過ぎないで、自分を責めるなよ。
俺はずっとお前を応援してる。
シカマル、ずっと大好きだからな。
犬塚キバ』
いっちょまえにこっちの心配なんかしやがって。
馬鹿野郎、と裏腹な言葉を呟く。
いつものキバじゃ考えられないような穏やかな言葉で書かれた文章が、いつの間にか滲んで見えなくなっていた。
いつの間にかハナの姿は消えていた。
震える顎と熱を持った頭が苦しくて堪らない。
キバの言葉が過去形でなく、
現在形で綴られていたことに気付いた時、自分が声をあげて泣いていたことにも気付いた。
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