小説V
□何を迷うことがある?あんた、生きてるんだろ?
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朝日の眩しさに目を開いた治郎は懐かしい夢を見たと思った。
そして、腕の中に収めた小さな寝息に目を向ける。無理矢理抱き締めて眠ったからか、子鞠の表情は難しげに歪んでいた。
胡蝶の夢を見てしまったことで、朝から子鞠にちょっかいを出す気持ちを無くした。珍しく治郎は何もせずに去る。
胡蝶は子ども相手にも容赦なく言葉を口にする人だった。あの夢は珍しく弱々しい姿を映していた。
誰に何を言われても怯まない。どうしてそこまで強いのか、治郎は尋ねたことがある。
笑いながら胡蝶は言った。
「何度も死んで、生きているからだよ」
人拐いによって遊郭に売られた。両親の元で育った私は死んだ。その後も心は何度も死んだ。同時に何度も“生”と戦う決意をした。
どうせ生きるなら、迷わずに笑ってしまおう。
今では歩んだ道に後悔はない。そんな風に語る胡蝶に治郎は何度も会いに行った。
まだ捕らわれていなかった頃の話だ。
大きなものを失ったと、思った。
そして、迷うことなく突き進むだけだと笑う。生きているのだから。
誰も知ることのない治郎の過去だった。