Book1

月並みのラブソング10
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BLとかいうホモの漫画はかなり異色だった。
せっかくこの機会に勉強しようと、手当たり次第にたくさん買ってはみたものの、どれもこれもセックスしか考えてないエロ本紛いの品で。まあそれは男性誌だってロリだのビアンだの似たようなものだろう。だが、こっちには余計なものがはっきり描かれていて、男である俺には巨乳の方がやはり魅力的だ。
表紙がそっちの類のものと似てたので、間違えて買った少女漫画。あれの方が、よっぽど今の俺の恋の気持ちに近かった。つい続きを昼間売店で購入してしまったので、俺は今日もまた鞄を死守せねばならない。
どのみちどこに行っても白い目で見られた。全く困ったものだと思いつつ、本屋の可愛いお姉さんにオススメを聞いてしまう。薦められた本と、ちょっと奴と俺に似てるかもしれないプチリアルなサラリーマン表紙のと、その他幾つか。
最後にレジで思いついて、攻め受けという言葉がどうしても思いつかなかったので、タチネコと言い換えてツンデレなネコをくださいと言った。それで完全に本物だと思われたらしい。
お会計のとき素敵なスーツですね、と褒められたので、この子俺に気があるのかなと困ってしまった。アオキだから今日買った分より安上がりだよと言ったが、目をきらきらさせていた。
なぜスーツが好きなのか、毎日満員電車に揺られて帰る俺にはわからない。加えていま俺がモテたい唯一の相手は、女子ではないのだ。残念である。


漫画を守って激しく疲れ、俺は泣きそうだった。嫌いな上司と二人きりで残業。皆帰ったのに俺だけが残された。それもようやく終わろうかという今になって、上司がバーに飲みに行こうと俺を誘ってきたのだ。
嫌味な男だ。気位が高いところが奴に似ていて、俺より奴と気が合うんじゃないのか。本当は奴も上司の横暴さに疲れきっているのを知ってはいるが、俺はそう思った。なんの意趣返しにもなりはしない。俺の努力を評価してくれない点で、彼らは同じだ。
考えることもなく上司について行きかける。今日の残業は長かったのだけど、上司は先に帰ることはしなかった。俺の仕事振りを信用してないに違いない。それでも断ったら今後の出世に響く、と打算的な考えが頭を掠めた。
いや、奴の所に行くのだ。もう一度会って、俺のことをどう思っているのか尋ねたい。
申し訳ありませんがと言いかけると、上司が立ち上がり扉を閉めた。何か悩みがあるのかねと聞く。プライベートのことも仕事のうちだ、話せと。
中学生の教師でもあるまいし、と絶句した。上司が隣の席に腰をかけて煙草を出す。やるかと差し出されたが、いいえ吸いませんと応えた。
そういえば会社に入ったばかりのころ、すいませんと言うと非常に叱られて、申し訳ございませんと言うと鼻で笑われた。叱られたら、ありがとうございます。すいませんは煙草を薦められたときだけにしろと言うのだ。
相当変わり者か、単なる馬鹿に違いない。話を愚痴って部下に聞かせるのが趣味の中年だ。酒に付き合ったらとんでもないことになりそうだった。奴と俺だけは特に辛く当たられ、課の人間もいい噂は立てない。なぜ四十やそこらで部長に昇進できたのか、黒い話がいろいろあるらしい。人の噂は宛てにならないが、自分ばかりが辛いとつい信じたい方を信じてしまう。
奴と同じマイルドセブンの香りが漂ってきた。好みは女子のようだな、煙ばかりで味がしないじゃないかと言っても、奴はこれでいいと濃いめのを吸っている。初めて出会ったときは吸っていなかった。
キスのときは、煙草の香りは消えていた。酒に酔っていたからだ。俺は奴と合わせてこの香りに慣れているので、つい上司に気を許しそうになった。
振られたらしいなと上司が言った。誰にそんなことを、と聞きかけて、ちょっと傷つく。歌姫のことは、奴にしか話していない。それを俺たちの嫌いな上司にぽろりとこぼしたのだ、俺の信頼をどうしてくれよう。あ。ああ、そうか。
あいつもそう思ったのだ。信頼していた俺に口づけられ、動転したのだ。しかし仕事は熟したのだ。俺はあの日は駄目だったが、その分今日は働いた。お互いさまじゃないか。
聞いているのだが?と上司が言った。この口調がひどくカンに障る。君は仕事が早いな。ゆっくりやりたまえ誰も期待しちゃいないから、などと何度言われただろう。しかめ面と皮肉っぽく歪んだ口元しか知らない。
ええ振られたんです、と言葉遊びのように言う。どんな女に、と聞くので、綺麗な女にと応えた。
ふうん。君はなかなか嘘つきだなと、机の缶珈琲を取りかける。それ俺のですと言いかけて、

首筋に骨張った手首が。

あ。なに?何かついてますか、というか触らないで首弱いんでと口にしかけて、

この人眼鏡取ったら誰かに似てないか。あれ、誰だっけと。

気を取られてる隙に、頭半分くらい低い中年男に腰を引き寄せられ。

机に抑えつけられてキスをされた。

キス。ああそう。キスか。奴とのキスは味わうどころじゃなかったよな。奴は一応学生時代に付き合ってる女がいたけど、俺は……初めてだったんだよ。この年で初めてのちゅーとか……本当はあんなに無理矢理じゃなく、もっと何て言うかこう……ええっ。
この人ホモだったのか?上司!上司ホモだったのかっ?待って。ちょ、そんな深いのまだ奴ともしてないです、待って!と背中に腕を回しかけた。上司の手にある煙草が頬に当たりそうだ。
体勢が下で口を塞がれてるから、もはや逃げ場がない。引きはがすにしても力が強い。机の上に押し上げられそうになり、いや。俺やられるほうなの?そんな。

――突然襲われるのって、こんなに怖いものなのか。こんなに怖かったのか、あいつ。息ができない。

手探りで灰皿を探し、掴みかけた。閉じていた上司の目が開き、ああやっぱり誰かに似てるなあとぼうっとした。急に唇が解放される。
荒い息を抑え、喘ぎかけた声。それに被るように、ああという声が入口がら聞こえた。
奴が立っていた。
立ちすくんでいる間に、事の説明をしようと近づいて。奴も足をこちらに向けて、来てくれた。よかった、助かったと抱き着こうとして。
目の前にが真っ白になり、あとは覚えていない。



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