Book1

月並みのラブソング番外7
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 ネオンは途切れてただ風が吹いた。





 閉店が早朝になることもあるという話をしただけで、車内も静かだ。助手席に乗るのが自然だった。暗い夜道を走った。

 吸ってもいいぞと言われたので、無言でいてもおかしく思われないためだけに煙草をくわえた。

 信号待ちで盗み見ようと決心していた。ちらっと目線を合わせただけで、何故こっちを見ているんだと声をあげたくなる。

 簡単には家の場所を伝えていたが、送ると言ったわけが知りたい。バイクも店へ置いてきた。明日は電車に揺られることになるだろう。

 ため息のこぼれるのを煙がごまかしてくれる。


「ほどほどにしろよ。酒も煙草も」
「え――――ええ」
「素直じゃないか」
「いえ。たまにしか」


 趣味も嗜好品も金のかからないものが多かった。男とか。考えると頭が痛くなる。



 俺は……綺麗な男じゃない。

 外側も、中身もだ。



 腰に来る振動に反応していた。バイクほど直接ではないが、密室はやはり駄目だ。

 鎮まるように祈っていた。一心不乱に、そのことだけを。


「どうして――――」


 どうして送ってくれるんですかと聞いた。上司は口の端で笑って、なんとなくだと言った。


「夜道は危ないだろう」
「娘さんではないですよ」
「あれは大丈夫だ。合気道を子供時分にやらせてた」


 男二人くらいなら軽く倒すと拳でハンドルをつく。夜の道を抜けると、すべて黄色信号に変わっていた。

 わずかに徐行しながら煙が弛み、香りを嗅いで彼は指を出す。


「私にもくれ」
「ほどほどになんでしょう」


 俺が苦笑すると吸いかけを奪う。煙草に関しては油断ができない。フィルターのぎりぎりを焼くまで見つめた。



 煙草ではなく、顔のほうを。



 なにか手頃な会話を集めるために頭を使った。華織を話題にすれば、未練があるのかと思われそうだ。手料理についてだと嘘をつかなくてはならない。


「猫。お隣り猫飼っているんですね」
「急になんだ」


 はずした。それはそうだろう。世間話を間にせねばならんほど他人なのか。一度口を切ったらもう猫で通すしかない。


「よく腹壊さないなと思……いや、たいしたことじゃ」
「本音が出たな。俺が作って正解だった」


 猫なら家に預かってる。寄るか?と顎で示した。

 男の家と方角は同じだった。それはまずいと慌てる。丑三つ時にまた二人と猫一匹では――――

 許可も待たずに右へ曲がった。盗み見ると微笑む。


「三時のお茶会だ。猫の相手をしてやろう」



 猫に興味はなかった。

 興味があるのは彼だけだ。



 地下の駐車場からエレベーターを上がるとき、隣の住民について聞いた。若い女性で、猫は出張中だけ預かっているらしい。

 俺が代わると言いたかった。猫がきっかけで彼と隣人の距離が近づくこともあるかもしれないからだ。


「明日仕事でしょう」
「そうとも。だが誘ったのは私だ」
「何か話があるんですね」
「なにもない。鍵はどこだ?……よし」


 扉に鍵を差し込んだ手に触れた。血流が早まる。家の前なのもまだ二度目だと言うのに、堪えられなかった。

 好きな相手と二人きりで部屋へいられるなんて、夢のようじゃないか。



 だが相手は気づいてないのだ、俺が――――


「やめましょう。俺は」


 男もいけるんだ、と軽口で済ませられれば。


「君の店ほどではないが、いい酒もある」


 お茶会にはまだ早い。


「久しぶりの君となら呑むのも悪くないと店で思った」


 手料理戦法にはもう遅い。


「息子がいたら毎日呑んだかもしれんな」


 電気をつけてくれと言う声を無視する。


「おい。真っ暗だぞ、電気を――――」



 扉の閉まる音に振り返った。

 手を伸ばして掴めたものを引っ張る。ぐっと聞こえた声のありかを鼻の先も見えぬ暗闇で指が探りあてた。

 体を密着させて、指の触っている場所を避けるように頭を乗せる。肩の位置が低いから、ほとんど耳に懐くようにして堪えた。


「理性を試さないでくれ。俺は」


 嗚咽が漏れる。なにもかも一夜で台なしにしてしまった。これが最後だろう。

 静寂と、硬直して冷たい体がすべてを語ってる。


「――――俺は、あんたの息子になりたかったんじゃない!ずっと……もうずっと……」


 織田切さん、あんたが好きだったと言って逃げ出すつもりだった。背中に飛びつく動物の爪が、首筋を引っ掻きさえしなければ。

 にゃあ、じゃねぇぞ空気読め!と猫を振り下として叫ぶうちに。





 鍵の閉める音と共に電気がつき、逃げ遅れたことを悟った。





月並みのラブソング番外8




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