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□黒い爪
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「何か答えたら?」

「・・・うるさい」


 はたと口を噤み、大げさに額に手をやって天井を仰ぐ。


「どうしてそういうこと、平気で言うかなぁ」

口を尖らせ、子供じみた拗ね方をしてみせる。



『これでも僕は傷ついているんだ』

 彼はそう言いたいのだろうか。

 被害者面して、無意識に私に罪の意識を芽生えさせようとでも思っているのだろうか。

 私の喉から発せられる一言一言が、知らぬ間に誰かを傷つけているというのか。


「謝れって言うの?」

「え?」

「私が謝罪すれば、貴方は傷つかないのね」


 額にあてた手を下ろし、彼は口を閉ざして私の目をじっと見据えた。



 何も表情が伺えない。

 まるで人間以外の、動物のような瞳。

 黒く塗りたくった、私の爪のようだ。




「確かに君が謝れば、僕の気が済むかもしれない。けど、それじゃ君の言葉を抑圧しようとしている、僕の我儘に過ぎないじゃないか」

 いつもへらへら笑っていると思ったら。

 たまには真面目なこと言う。


「そりゃあ少しは傷ついたけどね」

 柔らかそうな髪の毛を、無造作にかき上げ、腑抜けた苦笑をした。

 その表情を見て、前言撤回。

 つくづく気の抜ける男だ。


 ふうと私が一つ溜め息を吐くと、断りもなしに隣に座ってくる。目を細めて、何か意味有りげに笑みを湛えている。



 そしてさも当然の様に。

 私の両手を自分の両手で包み込んだ。まるで何か壊れやすい物を掬い上げる様な仕草だった。



「前に聞いたことがあるんだ」


「…何よ」


 優しく細められた目と、耳の中で膨張して脳をくすぐる様な柔らかな声。

 図らずも、鼓動が高まらずには居られない。


「爪を黒く塗った時は、気持ちの中で何か大きな転機を望んでいるからだって」


 そんなご機嫌取りでいいでたらめを、と鼻で笑ったが、内心認めざるを得ないような気がしてならなかった。


「本当だよ。君は変わろうとしているんだ」


 彼の掌が、手の甲を温めていく。



「…変わったっていいじゃない」

「僕は一言も悪いとは言ってないよ。似合わないと言ったんだ」

「見え透いた下心ね」

「アハッ…バレたか」





 腑抜けた顔で笑っているこの男。




…もしかしたら、世界で一番疎ましい存在かも知れない。



Fin.
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