短編

□親愛なる
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人間なんてのは、生まれた時から出来不出来が変えようのない個のものとして定まってしまっている以上、他人と足並みを揃えたりなんてのは合理的じゃねぇ。そもそも、性に合わねぇな。よって、次のかったるい授業は当然、サボりだ。タバコ片手に屋上の昇降口目指して薄暗い階段を気怠く上った。

重く鈍い音を響かせ、錆びて汚れた開き難い戸を強く押し開ける。
いや、絶好のサボり日和。見渡す限りに眩しいくらいの快晴である。
忽ち意気揚々と持参したタバコに火を付けて、青く抜ける空めがけ胸に満たした紫煙を吐いた。しまった、暇潰す何かを持ってくりゃ良かったな。とりあえず次の時限には昼寝を決め込む事に決定。昼飯後の授業なんざ、一番やってらんねぇよ。

屋上での昼寝は給水塔の陰と相場が決まっている。欠伸を一発、寝る気満々で今し方開けた扉の横に延びる梯子に緩く向き直ると、そこで何かの違和感を感じた。ん?気のせいか?何か聞こえたような。
取り敢えずそれを無視して梯子に手を掛けたその瞬間、間違いなく頭上から降る唸るような謎の声。
あ?誰か居んのか?思わず眉を寄せその方を仰ぎ見れば、青い空に映える何かがこちらに舞い落ちて来る所だった。
反射的に伸ばした腕で思い切りそいつを掴んで見ると、どう見ても薄ぺらい、白い紙。何だ、半紙?
謎が謎を呼ぶその右手の拳中を凝視していると、次いで上から「違う〜〜〜!」と唸り声の正体が、今一度大きな喚き声を上げた。
自分の眉間の皺がより深みを増したのが分かる。面倒事はマジに御免なんだが。暫し右の拳で握り潰した無惨な白紙を睨み付け、棒立ちで思案。しかし結局、そのまま当初の通りに梯子へ向かって手を掛けた。これもどうしようも無い己の性という奴か。

進まぬ気と共に上へと続く梯子を不審感一杯に登って見れば、そこにあったのは、何とも斜め上過ぎる光景だった。
給水塔の傍、半分が陰になる辺り、女生徒が何やら呻きながら正座に腕組みと、本気で謎すぎる構図であった。
やっぱ失敬しようかと登り切らない梯子を戻りかけたその寸時、女生徒は途端に心を決めた様子で筆を握った。腑に落ちる。コイツ、何か知らんが、書道の最中だったワケか。
考える程に謎しかないが、追及はやめた。声を掛けるに掛けられぬ状況に、訳も無く事の終わりを見届ける羽目になってしまった。
ここは風が良く通る。吹き抜ける強い風に、女生徒の髪やら半紙が勢い良く煽られる。
銜えたタバコの火が消えそうだ。半紙がはためき合う騒がしい音の中、無心で煙の行先を見送る。
見れば見るほどワケ分からんな。早く終われと眠気混じりに延々念を送っていると、認め終わったらしい、女生徒が深く息をついて筆を置く。そこでようやく気が付いたのか、顔を上げた女生徒がこちらを一目、目を丸くして「あ」と一声。
恐ろしい位の真顔を張り付けて応えてやった。無論、わざとだ。頭だけ覗かせた半端な姿勢から脱するべく、一息に梯子を登り切る。

「落としモンだ」
到底もう使い物にならないだろうが、仁義の為に皺にまみれた憐れな半紙を白紙の山に放り置く。それだけ言って早急に退散させて貰う事にする。
やれやれ、ここが駄目なら部室でも行くか…と踵を返した後ろから、「あげるよ、ソレ」と、肩が落ちる様な返事が返ってくる。 本気でいらねぇ。

「あのな、」抗議の為に凄みを効かせて振り向くと、まるで何事も意に介さずといったご様子で、女生徒はこちらには目もくれず次の半紙に淀みなく手を伸ばした。
良いだろう。負けた気がするが、敢えて聞いてやる。

「お前、何してんだ」
「ん?書道してます」
「いや、見りゃ分かる」

苦手な人種だ。会話の投球が意味を成さない。遂に溜息が出た。
時間の無駄だな。何よりも昼寝だ、昼寝。自身の抗えない性を呪いつつ、触らぬ神に何とやら、自ら薮の蛇を無意味に招く事はないと、今度こそ部室に向けて踵を返した。

「サボりでしょ。 見学してかない?」

梯子に向かう足が止まる。何だと?耳を疑いつつ思わず振り返る。

「お前こそ…」
「残念、うちのクラスは自習時間」
姿勢を正して、女生徒は得意気に胸を張る。見透かした様な顔を澄まして薄く笑った。
何だコイツ、ムカツクぞ。偉そうな態度が何とも癪だ。
「そうかい」と極めて何も含めず返事を返す。
上等じゃねぇか。売られた喧嘩は当然に買いだ。タバコ一本分位の時間なら付き合ってやる。さっさと寝たかったのでかなり乱暴に、程々残るタバコを吸った。

「何だってこんなトコで」
「部室、ないから」
どうせやるなら、屋上っしょ。謎の持論を自信満々に説くそいつは、半紙を丁寧に文鎮で均すと直ぐに、恭しい手付きで墨を擦りに取り掛かる。
正座の足元には一人分のレジャーシート、私有地と化した給水塔周りには完成した文字達が犇き合って乾き終わるのを待つばかりだ。
そういやウチの学校にゃ、書道部なんてのは…
「…部室ねぇのか」
「恥ずかしながら。同好会なのです」

困ったように眉を下げて笑う様に、何故か囲碁部の眼鏡がぼんやり浮かんだ。
今、お前は全く関係無いが。脳内のビジョンを払い除ける。
マイノリティってのは苦労すんなァ。別に同情してやる義理も無いが、どいつもこいつも、難儀な事で。溜息のような煙が洩れた。

墨を擦り終わった手は素直に筆を取るのかと思いきや、先程の様に組む腕の形へと収まった。暫し目を伏せ長く長く唸った後、突然に開かれた目がこちらを向いた。

「好きな文字、ある?」

湧いて出た質問にああ?と怪訝な返事が出る。好きな文字?
うん。とそいつは非常に真面目腐った顔で答を促す。

「文字ってね、気持ちがないと書けないんだ。」

唸ったり喚いたりの理由はそれか。自己表現に於ける芸術的苦悩というのは自分にはおよそ解り兼ねる所故、そういうもんかと適当に納得する。
しかし急に言われても出て来ねぇよ。タバコを一度、二度、吸って吐いて。
閃くでも無いが、後腰に挿していた扇子を何気無く手に取り、勢い良くそれを開いて見せる。

「…良いね。それ」
採用!と親指を元気良く立て了承のサイン。
退屈しねぇ奴だな。漸く筆を取り認める姿勢のそいつの傍に、少しばかり歩み寄り視線の高さを同じに合わし、事の様子を伺った。

筆を取った途端、そいつの様子は悉く様変わる。清く伸ばされた背筋、底知れない煌めきを湛える眼。
少し感心。一つ譲れないモノを持った奴の瞳は、強い。独特の空気を纏ってその空間を創っていた。
目を張る捌きで筆が流れる。白い半紙に瞬く間に現れ出でた「王」の文字。扇子を仰ぐ手がいつの間にやら止まっていた。これは、なかなか。

「見事なもんだな」
「…同好会員ですけど」

一息ついて筆を置きつつ、照れ臭そうに会員は笑った。
つられて自身の口端も上がってしまっている事に気付く。
参ったな。昼寝は次の時限に持ち越しだな。

一度で懲りずそいつはひたすら「王」を書いた。
精神的なモノを相手にする奴、特に表現に身を置く人間は、こういう所がある気がする。己が真に納得するまで、追うということを止められない。
解らないでもないその横顔は、見ていて飽きるという事は無かった。理由については確りと解かるのだが、この周りに散らかる文字の海、それが一番の答えであり全てだろう。

「また遊びにきてよ、加賀君」

一頻り書いて満足したらしいそいつは、真っ直ぐに俺を見据えてそう言った。目で問い掛けていたのだろう、俺の事知ってんのかという疑問の視線に、知ってるよ、有名人だし。と、何でも無い風に応える澄まし顔がそこにあった。

幾つかの半紙の隅には整った文字。一つを極め抜いた奴の大層な字だ。
みょうじなまえ。成程。暇潰しのよしみに覚えておいてやろう。
ついでに並んだ数字まで見て、学年が違った事を知る。
文字とは人となりを表すってな。それは如何にも、最もらしい。

気付けばタバコは灰を落として、とうに終りを告げていた。
真新な半紙と流れる雲の白さだけが、青い空に眩しく浮かぶ。
何よりも思うのは、取り敢えず…、
冬までに部室、貰えると良いな。


(2023/04/05)

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