コウノドリ長編

□九話
3ページ/3ページ



「僕ね、ピアニストにもなりたかったんです」



聞いたことのある曲を何曲も弾いた後、そっとピアノから手を下ろした彼が先程の言葉に繋げるように言葉を発した。



「ピアニスト……」
「僕…欲張りで、どうしても医者とピアニスト両方になりたくて」
「サクラさんが、BABY……?」
「……はい」



目の前でこんなにも軽やかに、華麗に、あの名曲達を奏でられたら、否が応でも信じるしかない。

でも、どうして。
だってBABYは児童養護施設で育ったこと以外は年齢も経歴も不明。
それなのに、そんな最重要機密事項を私なんかに。

頭の整理が追いつかない私を余所にバーカウンターに入っていくサクラさん。
その姿を目で追う。



「桜月さん、ワインは飲めますか?」
「えっ?…え、と……少しなら」
「それは良かった」



突然の質問。
ワインは飲めなくはないけれど、そんなに量は飲めない。
また酔って迷惑をかけるのもよろしくない。



「じゃあ、少しだけにしておこうかな」



そう言ってボトルを傾けてワイングラスにワインを注ぐ。
そっとカウンターに置かれたグラス。
これはいただいていいのだろうか。

グラスに手を伸ばせば、手を重ねられる。

初めてマンションのエレベーターホールで会った時、脈を取られたこと
居酒屋でカウンター席に並んで座った時に肩が触れ合ったこと

彼の温もりに触れたことは何度かあったが、こうして手を重ねたことは初めてで。
先程から煩いくらいに跳ねている心臓がそろそろ口から飛び出してきそう。



「……これは、ポートワインと言います」
「ポート、ワイン…?」



元々お酒には詳しくない。
それに加えてワインは結婚式などで出されれば飲むという程度なので尚更種類が分からない。
それでもポートワインとわざわざ名前を言うのだから何かしら意味があるのだろう。



「カクテル言葉、ってご存知ですか」
「…花言葉みたいな感じですか?」
「そうです、カクテルには花言葉のようにつけられた言葉があるんです」
「知らなかった…」
「このポートワインにも、カクテル言葉があって」
「どんな、言葉…ですか?」



重ねられた手に力が込められる。
心音が聞こえてしまうのではないか、寧ろお医者さんの彼には重なった手から脈拍を測られてしまうのではないか。
もうそんなどうでもいいことが頭を過る。



「愛の告白」



「っ、」
「男性から、女性にこのワインを勧めるのは『愛の告白』という意味なんです」



ヒュッ、と喉が鳴る。
ストレートな表現に、また心臓が跳ねた。
まっすぐに見つめられる瞳から目を離せない。



「愛の、告白……」
「僕は桜月さんが好きです」
「え……」
「僕と、付き合ってください」



ここに来てからの一時間もしない間でキャパオーバーを起こしている。

サクラさんがBABYで
ポートワインのカクテル言葉は愛の告白で
サクラさんは私が好きで
付き合って………



「これ、いただいても、いいですかっ…」
「えっ…」



重ねられた手と反対の手でグラスを取る。
男性がこのワインを勧めるのは愛の告白だと言うのなら。
それを受け取るのは、



「カクテル言葉は初めて聞きましたけど、きっと…………『Yes』ならこういうこと、ですよね」



グラスを口元へ運び、一気に喉へ流し込んだ。

甘い飲み口。
でも、度数は高めのようで喉が熱い。



「っ、ケホッ……」
「そんな、一気に飲んだら…!」



涙目になるのが分かる。
それでもサクラさんが先程伝えてくれたように、まっすぐに見つめ返して言葉を紡ぐ。



「私も、好きです」
「っ……」
「サクラさんが、好き。
何よりも赤ちゃんとお母さんを一番に考えているところが……
優しいところも、仲間思いなところも、たまに寂しそうな顔するところも、ちょっと抜けてるところも、料理ができないところも、……意外とキザな告白するところも、

全部引っくるめて、サクラさんが大好きです」

「ハハッ……まさかそこまで言われるとは思いませんでした…」



くしゃりと破顔するサクラさんを見て、どうしようもなく泣きたくなる。

そっと重ねられていた手が離される。
温もりが離れていったことを寂しく感じていたら、バーカウンターから出てきたサクラさんにそっと抱き締められた。



「っ、?!」
「……『付き合ってください』の返事、もらってもいい?」
「さっき、私ワイン…!」
「うん…でもちゃんと聞きたい」



抱き締められた温もりと少し砕けた言葉遣いに翻弄されて、熱が上がりそう。
今日は心拍数が上がりすぎて寿命が縮まった思いだ。

行き場のなかった手をそっと彼の背中に回す。



「……お付き合い、させて、ください」
「ふふっ、何でそんなに固いんですか」
「だって…改まって言うの恥ずかしいじゃないですかっ」



照れ隠しに彼の胸に顔を埋めれば、強く抱き締められた。
彼とこうするのは初めてなのに落ち着くのは何故だろうか。

ほんのり香る消毒液の匂いを感じながら、そっと目を閉じると自分の鼓動と同じくらい速く拍動している彼の心臓を感じて、胸の辺りがじんわりと暖かくなった気がした。


next...


次の章へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ