MIU404長編

□八話
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「へぇ〜、ハムちゃんと飯行ったんだ?」
「はい、パスタ美味しかったです」
「そっかそっか。今度俺も行きたいな〜」



当番勤務明けの今日、非番の伊吹さんは昼過ぎにアパートを訪れた。
非番の日は仮眠を取った後で夕方から来ることが多いけれど、今日は珍しく仕事が終わって直行して来たらしい。



「お店、駅からすぐなので教えましょうか?」
「え、一緒に行こーよ。俺も桜月ちゃんとパスタ食いに行きたい」
「じゃあ……今日の夜か、明日の昼にでも……?」
「ん、約束〜」



何故か楽しそうに見えるのはどうしてだろう。
そして、この笑顔に胸が痛むのは私の心が彼を求めているからか、それとも体が彼を覚えているからか。



「桜月ちゃん?」
「っ……、」



急に頭痛に襲われる。
目の前がチカチカする。
何で、どうして。
頭が割れるように痛い。

まるで事故以前の私が、今の私の感情を認めていないかのような激しい痛み。



「桜月!」
「っ、う……」



大丈夫、言いかけた言葉は口から零れることなく意識がブラックアウトした。



































「っ、……?」
「桜月、?」
「伊吹、さん……」
「良かった……」



目を開ければ、室内は夕暮れ色。
久しぶりに意識を飛ばしてしまった。
微かに痛む頭を押さえながら起き上がろうとすれば、いいから寝てて、とベッドに押し戻される。
ふと腕に違和感を覚えて見れば、点滴の管が繋がれている。
そこでようやくここが病院であることに気づいた。



「病院……?」
「ん、急に意識なくなったから救急車呼んだ」
「すみません……」
「先生呼ぼっか」



ナースコールで医師を呼ぶ伊吹さん。
まもなくして開かれたドアから入ってきたのは見知った男性医師。
あぁ、またお世話になってしまった。



「目が覚めたか」
「加瀬先生……」
「ったく、戻って来るなって言っただろうが」
「すみません……」



口調は荒いけれど、手際よく脈や血圧を図ったり点滴の処理をしたりしてくれている。
加瀬先生に促されて身体を起こせば、フラフラすることもなくすんなり起き上がることができた。



「大丈夫そうだな」
「はい」
「なら帰っていいぞ」
「、え」
「意識もはっきりしてる、顔色も良いし頭痛もなさそうだし、問題ないだろ」
「それは、そうですね……」



こんなにあっさりしていていいのだろうか。
確かに私の状態が一番ひどかった時を知っている加瀬先生だからこそ言えることだし、確かにこのまま病院にいたところでできる処置もないはず。
ベッド脇に座る彼は心配そうな顔をしているけれど、加瀬先生の言い分ももっともなので素直に家に帰ることにしよう。
きっと私よりも医療の手を必要としているひとはたくさんいるはず。
『お世話になりました』と深く頭を下げて病院を後にする。



「ね、ホントに大丈夫?」
「大丈夫ですって、加瀬先生も問題ないって言ってたじゃないですか」
「そうだけどさぁ……」



納得のいっていない表情をしているのは夜道でも分かる。
彼の心配ももっともで、退院してから体調は安定していたし、ひどい頭痛に見舞われることもなかった。
久しぶりに意識を失う姿を目の当たりにして心配しない方がおかしいだろう。



「伊吹さん」
「ん?」
「ごめんなさい、いつも迷惑かけて」
「何なに、急にどした?」
「いえ……事故に遭ってからずっと、記憶がない状態の私に付き合ってくれて。
休みの日は実家に連れて行ってくれて、記憶探しの旅も毎回嫌な顔せずに一緒に行ってくれて」
「桜月ちゃん、?」



ずっと、心に引っかかっていた。
彼が私に優しくしてくれるのは、事故以前の私と付き合っていたから。
事故後、三ヶ月は経つのに記憶が戻る気配はなくて、彼がたまに見せる寂しげな表情がどうしようもなく切なくて。

今の私が彼を留めておいていい理由なんてどこにもない。



「、ごめんなさい」
「……何が?」
「伊吹さん……私の記憶が戻るまで、」



『来ないでください』
そう言おうとして一度息を吸い込めば、彼の大きな手で口を塞がれた。
思いがけない彼の行動に目を見開いてしまう。
彼を見上げると俯き加減で表情が見えない。
名前を呼ぼうとすれば反対の手で抱き寄せられて彼の温もりに包まれていた。



「い、伊吹さ……」
「ごめん、このまま聞いて」
「はい、……?」
「俺、記憶があるとかないとか関係なく桜月が好きだよ」
「、え?」



伊吹さんの発言に驚いて顔を上げようとするが肩と腰に腕を回されて、おそらく彼の頭が私の頭に乗せられていて身動きが取れない。
そうなると彼の独白にも似た話をこのままの状態で聞くしかなくて。
少なからず好意を寄せている人にこんなに強く抱き締められて、心臓が爆発してしまいそうで。



「最初はさ、何で桜月が、って思ったけど……やっぱり記憶がなくても桜月は桜月なんだよ。
俺には分かる。
だから会わないとか無理だし、嫌だって言っても部屋に行く」
「伊吹さん、何で……」



どうして私の考えていることが分かってしまうのだろう。
いつでもそう。
疲れた時は見逃さずに休憩しようと言って、
悩んでいる時は笑わせてくれて、
楽しいことは一緒に共有してくれて、
何度彼の優しさに甘えてしまったことか。



「桜月は桜月だって言ったじゃん?
たぶん俺に迷惑かけて申し訳ないから記憶戻るまで来るな、って言おうとしただろ」
「……はい」
「俺ね、桜月の記憶がないことより会えない方が無理だからさ。
申し訳ないとか思わなくていいから、お願いだからそういうこと言わないで」
「伊吹さん……ごめんなさい……」



ようやく顔を上げられて、彼の表情を窺うことができる。
同じタイミングで彼もこちらを見下ろしてきたようで、視線が絡まる。



「もしかして最近、ずっとそのこと考えてた?」
「え?」
「だって何か様子変だったじゃん?」
「あ、」


やっぱり気づかれていた。
でも、まさか『貴方が好きなことに気づいてしまって、どう接したらいいか分からなくなっていた』なんて言えるはずもなくて。
曖昧に笑えば、それは無しと頬を抓られる。
決して痛みはなくて、ただのポーズとしてのものだというのがすぐに分かった。



「ね、今日泊まっていい?」
「えっ……」
「何もしないよ、大事だもん」
「それなら、まぁ……」
「ぎゅーってしながら寝るけどね」
「なっ、?!」
「いいって言ったもんね〜、はい決まり〜」



そう言って子どものように笑う伊吹さんの笑顔に、また胸がチクリと痛んだ。
その痛みに気づかれたくなくて、彼の広い胸にそっと顔を埋めることで人の機微に敏い彼の瞳から逃れることにした。


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