コウノドリ

□暗闇に一筋の光
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外来診療が始まる15分前。
起こすと約束していた彼女を起こしに当直室にやって来た。
最近……下屋が救命に異動してから、特に彼女の周りが更に忙しくなった。
これまで女医二人でも大変だったのに、その二人分の仕事を一手に引き受けようとする彼女の背中にどれだけの重圧をかけてしまっているのだろう。

代われるものなら代わってやりたい。
けれど、男女というどう足掻いても超えられない性差を乗り越えることは難しくて。
今までも感じたことのある、男ではどうしようもないという焦燥感がジリジリと胸を焦がしていた。



「ん……」



軽く身動いで寝返りを打った彼女がこちら側を向いた。
目の下の隈が化粧を施した上からでも存在感を示している。
そして、ここしばらく彼女の眉間に滞在していることの多い2本の皺。
昨夜は満月でお産が重なったと聞いている。
それに加えて通常の外来診療に回診、その他の雑務。
極力彼女にだけ負担が行かないようにはしているが、元々抱え込みやすいタイプだ。
見えないところで倒れないように目を、心を配るしかない。

もう少し寝かせてやりたい気持ちはあるが、今日も彼女の予約外来は満員御礼。
申し訳ないが起きてもらうしかない。



「…桜月、桜月?」
「ん……ぅ、サクラ…さん……?」
「おはよ、もう少しで外来始まるよ」
「すみません…ありがとう、ございます……」



肩を叩いて声をかければ、しんどそうに目が開かれる。
交際を始めてから、二人で出かけられる日がなかったが呼び方だけは何度もお願いして何とか『鴻鳥先生』から『サクラさん』に変えてもらった。
勿論、公私混同するつもりはない。
それでも今の彼女の様子を見て、先輩としてだけでなく男としても放っておく訳にはいかなかった。



「はい、水」
「すみません…」


体を起こした彼女に当直室に来る途中で買ったペットボトルを渡すが、開ける気配もなくぼんやりとしている。
蓋を開けて再度手渡せば、ようやく口に運んでくれた。

まだ外来が始まるまで、もう少しだけ猶予がある。
今のうちに彼女の硬くなりすぎた心を少しでも解しておきたい。



「桜月」
「…鴻鳥先生、仕事中ですよ…?」
「さっき桜月も名前で呼んだでしょ」
「寝起きはノーカウントです」
「うん、でもちょっとだけ」



ペットボトルを彼女の手からベッド脇の棚に移動させて、そっと抱き寄せれば一瞬身体を硬くした後でコテンと肩に頭を預けてきた。
そして遠慮がちにスクラブの裾が掴まれる。



「ごめんなさい…」
「どうして謝るの?」
「……仕事中なのに」
「大丈夫、四宮にも言われたんだよ。『何とかしてやれ』って」
「、四宮先生が…?」



肩口から不思議そうな声が聞こえた。
アイツは分かりにくい奴だけど優しいからね、と言えば、確かに…と薄く笑う感じがした。
ゆっくり背中を撫でれば、肩が震え始める。



「っ、ちょっとだけ、いいですか…」
「うん」
「やっぱり、加江がいなくなった分、キツくって…」
「ごめん、それは僕らにも責任がある」
「いいんです、やっぱり…女医希望って思う人がいるのは、当たり前と言えば、当たり前ですし…」
「…うん」
「もっと勉強して、早く一人前になりたいんです。
鴻鳥先生にも四宮先生達にも、心配も迷惑もかけないようになりたい」
「心配はしてるけど、迷惑かけられてるとは思ってないよ」
「現に…今、こういう状況じゃないですか…。
今はまだ、誰かに助けてもらわないと、仕事が回らない状態なのは、分かってるんです…。
鴻鳥先生だけじゃなくて、四宮先生とか小松さんとか…助けを求めればいいんだけど、人に頼るって上手くできなくて…」



スクラブの肩口がじんわりと湿り気を帯びながら温かくなる。
それに気づかないフリをして背中を撫で続けた。
心の緊張が一つずつ解けるように。



「加江みたいに、できない事はできないって大きい声で言えればいいんですけど」
「あれはあれで困る時があるけどね、二人足して2で割ったくらいがちょうどいいよ」
「、ふふっ…確かにそうかも」



微かに聞こえた笑い声に少し安堵を覚える。
ゆっくりと彼女が離れていく。
濡れてしまった肩口にそっと指先で触れてきた。



「すみません、汚してしまって…」
「大丈夫、白衣着れば分からないし、それでもダメなら着替えるから。
それより…」
「え、っ…!」



離れてしまった彼女をもう一度抱き寄せて至近距離で見つめる。
驚いたように目を見開いて見上げてくる桜月が可愛くてそっと額にキスを落とした。



「午後を乗り切るおまじない」
「、っ…」
「桜月、明日一日オンコールでしょ」
「はい…先生は……今日当直ですね…」
「明日、うちに遊びにおいでよ」
「えっ」
「当直明けだから出かけるのは厳しいけど、うちでゆっくりしようよ。
仕事終わったら連絡するから」
「、はい…」



もう一度、額にキスを落とした後、デートのお誘いをすれば嬉しそうに笑う桜月。
あぁ、この顔は誰にも見せたくないな。
そう思いながら三度額に口付けた。



*暗闇に一筋の光*
(あ、明日話したいことがあるんだよね)
(…?)
(まぁ僕のちょっとした秘密、ね)
(はぁ…?)


fin...


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