コウノドリ

□君の為に
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「少し、落ち着いた?」
「すみません……もう、大丈夫です」



涙腺が崩壊してしまったようでリハーサルが終わった後もしばらく涙が止まらなかった。
メイクと着替えのためにサクラさんが楽屋に行くのに連れられて来ていた。

開演時間も近く、準備もあるというのに私が落ち着くまで頭を撫で続けてくれたサクラさんに感謝と申し訳なさが募る。



「すみません…準備あるのに……」
「好きな子が泣いてるのに放っておけないでしょ」
「、すみません…」



『好きな子』という単語に心臓が跳ねる。
目の前のこの人は何でこんなにも感情表現がストレートなんだろう。
仕事中はポーカーフェイスが巧みで何を考えているか分からないのに、二人きりになると途端に惜しみなく言葉をくれる。



「でも、」
「うん?」
「『子』って年齢では、ないです…」
「アハッ、いつもの調子が出てきたね」
「すみません…すっかり手を止めさせてしまって……」
「大丈夫大丈夫」



すぐ終わるからちょっと待ってて、と額にキスを落として鏡に向かうサクラさん。
その姿を目で追っていけば、化粧がボロボロに崩れた自身の姿と鏡の中で目が合った。
酷い顔をしている。



「うわ……」
「どうかした?」
「化粧がボロボロになったのに気づいてしまいまして…」
「隣、使う?」
「えっ…」
「桜月が気にしなければ、だけど」
「……鏡、お借りします」



サクラさんから少し間を開けて鏡に向かう。
二人並んで鏡に向かって化粧をしている光景は何だか不思議で。



「そんなに離れなくてもいいのに」
「かなり酷い状態なのであまり見ないでください」
「どんな時でも桜月は可愛いよ?」
「そういうお世辞はいらないです」
「お世辞じゃないんだけどなぁ」



先程まで塞ぎ込んでいた心が少しだけ軽くなった。
CDで聞いていた時には感じられなかった、心の奥を覗き込まれるような、あの感覚はライブならではなのかもしれない。



「……あの、」
「うん?」
「お願いが、あるんですが…」
「珍しいね」



先にメイクを終えたサクラさん……いや、ベイビーがすぐ隣に移動してきた。
いや、だからそんなに見ないで欲しい。



「今日、舞台袖で見てもいいですか?」
「構わないよ、近くにいてくれた方が僕も安心。
チケット代は払い戻しするから」
「あ、それはそのままでいいんですけど…また泣いてしまって周りの方に迷惑かけるのもどうかと思いまして…」
「そっちね……」



側にいたいって思ってくれたのかと思ったよ、とわざとらしく残念がるベイビーはオフのサクラさんそのもので。
ベイビーはサクラさんなのだから当然と言えば当然だけれども。
化粧を直す私の後ろで、着ていたいつものバンドカラーシャツを脱いでベイビーの衣装に着替えるサクラさん。
その姿はもうすっかりベイビーで。



「さて、と。そろそろ行こうかな。
桜月は準備できた?」
「…はい、どう足掻いてもこれ以上はどうにもならないので諦めます」
「うん、可愛いから大丈夫」
「可愛くはないですからね?」



頑固だなぁ、と笑うベイビーに手を差し出されてその手を取れば、強い力で引き寄せられて。
サクラさんとは違う、消毒液と化粧品の香りに包まれて不意に心臓が跳ねる。
驚いて顔を上げれば、思ったよりも近い位置にベイビーの顔があって、くらくらする。



「今日は、桜月の為に演奏するよ」
「っ…狡い、です……こんなの…」
「チケット代はいらないから、別なお支払い方法をお願いしてもいい?ライブの前だけど」
「別なお支払い方法…って……」



妖艶な笑みを浮かべたベイビーの腕が腰に回り、反対の手でそっと頬を撫でられて、長い親指が唇をなぞる。
これは、まさか…



「頂戴します」
「、っ…」



ちゅ、と触れるだけの口付けを何度も落とされる。
わざと立てられる軽いリップノイズ、それだけでも恥ずかしくて顔から火が出そう。
何度か唇を啄まれた後、ゆっくりと離れていくことに寂しさを覚える辺り、もうすっかり彼の虜なのかもしれない。



「うーん、少しは抵抗してくれないとなぁ…」
「っ……」
「ベイビーに負けそうかも」
「何を言って…」
「今度、もっとすごいのするから覚悟しておいてね」
「サクラさんっ!」



アハハッと笑いながら楽屋のドアを開けるベイビー。
後に続けば、ドアのすぐ横で滝さんが待っていた。



「イチャイチャするなら帰ってからにしてくださいよ」
「やだなぁ、賢ちゃん。立ち聞き?」
「え、」
「そんな悪趣味なことしませんよ。もう時間だから呼びに来ただけです」
「はいはい。賢ちゃん、彼女さっきのところで見ることになったからよろしくね」
「りょーかいです」
「じゃあ桜月…行って来るね」
「はい、行ってらっしゃい」



頭をぽんぽんと撫でてからステージへ向かうベイビー。

サクラさんとベイビー、二人に翻弄されるなんて心臓がもちそうにないな、なんて頭の片隅で思いながら流れてきたピアノの音色に意識を溶かした。



*君の為に*
(サクラさん、お疲れ様でした!)
(うん、ありがと)
(サクラさーん!最高でしたよ!)
(賢ちゃんもありがと)
(桜月さんの為の演奏は格別ですね!)
(やっぱり聞いてたんじゃん!)


fin...


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