コウノドリ

□ありきたりな幸せ
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「本当にお世話になりました、ありがとうございました」
「まだ無理はしないようにね、本当に」
「気をつけます…」



念の為、と用意されたT字杖も必要ないくらいに回復した桜月。
2ヶ月前に大事故で運び込まれた人間とは思えない。

ゆっくりとした動作でタクシーに乗り込み、窓から手を振る。
やっと、この日が来た。



「わー……すごい久しぶり」
「週に一度は風通ししてたけど…」
「本当に、何から何まですみませんでした…」



入院から2週間した辺りで申し訳なさそうに部屋の鍵を渡されて、冷蔵庫の中の処分を頼まれた。
退院まで2ヶ月はかかると言われて、どうしようもなくなったらしい。
あぁ合鍵を渡された女の子ってこんな気持ちなのかな、と頬が緩んだのを覚えている。

カーテンと窓を開けて、空気を入れ替えれば背後で桜月が動く気配。
振り返って見ればキッチンに立って、お茶の準備をしようとする彼女を制してソファに座らせた。



「あのさ、自宅療養の意味、分かってる?」
「でも、」
「でもじゃないよ、おとなしく療養しないなら復帰は延期するからね」
「うぅ……」
「これじゃあ目が離せないな」
「……すみません」
「桜月」
「はい?」



そっと彼女の手を取って、ポケットの中で温めていた物を乗せる。



「あ、鍵……ん?これ、うちのですか?」
「いや、僕の部屋の鍵」
「え?」
「足が完治するまで僕のうちにおいで」
「え、……えぇっ?!」



鳩が豆鉄砲喰らったような顔、とはまさに今の彼女のことを言うのだろう。
まぁ我ながら突然だとは思うけれど。



「自宅療養するにしても限度があるし、桜月は誰かが見てないとすぐに無理するからね」
「そんなこと、ないですよ?」
「うん、その言葉は信用できないから僕の部屋に行こうね。
僕も復帰まではできるだけ日勤にしてもらうから」



先輩命令だから、と念を押せば観念したように肩を落とす桜月。
これならば日中僕が仕事でいなくても多少安心。
彼女は僕の部屋に来ると借りてきた猫のようにおとなしくなるから。



「僕としてはそのままうちに引っ越してきても構わないけど」
「だ、から…そういうことを、軽く言わないでくださいっ」
「アハッ、半分本気なんだけどね」
「もう、サクラさんっ」



鍵を乗せたままの彼女の手を取って、そっと抱き寄せる。
入院中は個室とは言え、場所が場所だけにこうして抱き締めることはできなかった。
というより彼女が気にして拒否され続けていた。
やっと、この腕の中に戻ってきた。



「……久しぶり、ですね」
「誰かさんが病室じゃ嫌だって言うから」
「だっ、て…科が違うと言っても、職場ですよ…?」
「僕、よく我慢したなぁ」



わざとらしく言えば、肩を震わせてクスクスと楽しそうに笑う桜月。

前言撤回。
病室で拒否されていて良かった。
彼女に触れていたら、きっと場所も忘れてキスをして、その先まで……



「ねぇ、桜月」
「はい」
「運動はどの程度許可されてる?」
「運動、ですか?
日常生活を送るのは問題ないそうです。
ただ激しい運動はもう少し控えるように言われてます。
なのでサクラさんの部屋にお邪魔しても家事くらいはさせてください」
「うーん、それは助かるんだけど…激しい運動はまだダメかぁ」
「……?」



言葉の意図を図りかねているのか、首を傾げる桜月。
分かってないなぁ。



「とりあえず軽く荷物纏めて、うちに行こうか」
「あ…はい」
「激しい運動、解禁になったら教えてよ」
「え?」
「2ヶ月触れられなかった分を取り戻すのに激しくならないはずがないから、それまで我慢するからさ」
「……っ!サクラさんっ!」
「アハハッ」



真っ赤な顔で僕の胸を叩く彼女が愛おしくて。
これだけ許して、とその柔らかい唇にキスを落とした。


*ありきたりな幸せ*
(あの、やっぱりサクラさんに私の部屋に来てもらうのはダメですか)
(僕の部屋は嫌?)
(そうじゃなくて…調理器具がなさすぎて日常生活が送れません)
(……うん、それはごめん。この後買いに行くから)


fin...


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