コウノドリ

□glasses
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「入って」
「え、」
「ほら、いいから」



当直室のドアを開けられ、背中を押されて半ば強引に押し込まれる。
振り返れば後ろ手に扉を閉めた鴻鳥先生に手を取られて、掌に収まる小さな固い何かを手渡された。
眉を寄せて手の中を見れば、丸いケースが二つくっついたプラスチックの、



「コンタクト、ケース?」
「僕の部屋に置いてあったコンタクト持って来たから、午後はこっちにしなよ」
「あ……わざわざ持って来てくださったんですか?すみませ、んっ?!」



多少の不自由はあったけれど今日だけの我慢と思っていたけれど、やはりコンタクトレンズの方が利便性はいい。
当直明けで疲れているのに申し訳ないのと有り難さで、もう一度謝罪と感謝を告げようと見上げれば急に唇を塞がれた。

突然どうして。
病院なのに、今の時間は人気がないとは言っても誰かが入ってくるかもしれないのに。

咄嗟に離れようとして彼の広い胸板を押せば、逆に腰を押さえつけられて密着させられてしまう。
離れるどころか角度を変えて何度も口づけられる。



「っ、ふ……」
「ごめん、」
「も……どう、したんです、か……」



腰が抜けそうになったところでようやく唇が離れていった。
自分でも非難めいた表情をしているのは分かる。
それでもここは病院、我々の職場なのだ。
彼は当直明けとは言え、私はまだ仕事中な訳で。
公私混同はしたくない、と以前から話しているのに今日はどうしたというのか。

こんなこと、理由もなくする人でないことは分かっている。
だからこそハッキリさせておきたい。



「サクラさん……私、何かしましたか?」
「桜月が悪いんじゃないよ、ただ……僕の心が狭いだけ」
「…………?」



顔を上げようとすれば後頭部を押さえられて彼の肩口に顔を埋める形になる。
こういうことをする時のサクラさんはバツが悪くて顔を見られたくない、という内情の意思表示。
勿論そうでないこともあるけれど、先程のキスといい、きっと今回はそういうことなんだろう。
最近、ようやく分かってきた。
けれど、何故そんなことになっているかまでは現状分からない。



「……鴻鳥先生、ちゃんと話していただけないとどうしてこういう状況なのか分かりません」
「ごめん、」



朝は私が謝ってばかりだったけど、今度は自分の番だとばかりに謝罪の言葉を口にするサクラさん。
彼がよく『謝ってほしい訳じゃない』というのはこういうことなんだろう。
次からは自分も気をつけよう、と無意識に漏れた溜め息に重ねるようにしてまた『ごめん』と呟かれた。



「眼鏡が痛いので少し力を緩めてもらえませんか?」
「あぁ……ごめん」



ゆっくりと離れていった温もりが少し寂しいだなんて疲れているのかな。
ようやく顔を上げられる、とそっと彼の様子を窺えば、予想通りバツの悪そうな表情。
一体どうしたというのだろう。



「……吾郎くんがさ、」
「え?」
「眼鏡いいですよね、って」
「……はい?」
「普段、コンタクトの女性が急に眼鏡かけるのっていいですよね、って朝、僕が帰る間際に言われてさ」
「はぁ……」



きっとあの後輩のことだ。
深く考えてはいないはずの発言を彼は真に受けたらしい。
何とも単純……いや、どうしてこんなにも純粋なんだろう、この人は。



「ほら、桜月が眼鏡かけるのって寝る前と起きてすぐくらいじゃない?」
「そうですね、起きている時は基本的にコンタクトなので」
「何かこう、眼鏡姿は僕だけの特権っていうか、桜月の側にいるのを本当に許された人しか見られないと勝手に思ってたから……」
「あぁー……要するに、ヤキモチですか?」
「そんなにストレートに言わないでよ……自分でも自己嫌悪に陥ってるんだから」
「っふふ、サクラさんって案外ヤキモチ妬きですよね」
「それは……自分でも驚いてる」



参ったな、と呟いた彼が私の肩に頭を乗せて脱力してくる。
それが何とも可愛いと感じてしまい、そっと広い背中に腕を回してぽんぽんと軽く叩く。



「サクラさん、コンタクトありがとうございました」
「、うん」
「今日、ライブにお邪魔してもいいですか?」
「それは勿論」
「リクエストしても?」
「珍しいね、っていうか初めてじゃない?
こんなことしたお詫びにいくらでも聞くよ?」



少し驚いたように顔を上げたサクラさんに至近距離で見つめられる。
確かにライブに行くことはこれまでに何度もあったけれど、曲をリクエストすることは初めてだ。



「『My Baby』を是非」
「じゃあ今夜は桜月の為に弾くよ。
ねぇ、My Baby?」
「楽しみにしてます」
「桜月の恥ずかしがるポイントがまだよく分かんないなぁ〜」



そう言って楽しそうに笑うサクラさんのくしゃっとした笑顔が愛おしくて、つられて頬が緩むのが分かった。
この笑顔を見られただけで午後も頑張れそう、そんな気がした。


*glasses*
(あ、桜月さんお疲れ様〜)
(滝さん、お疲れ様です)
(今日サクラさん何かあった?)
(え?何かって……)
(リハで何曲か弾いたんだけどめちゃめちゃ甘々でね〜、あれをお客さんに聞いてほしかった〜)
(そう、ですか……)
(お、心当たりある感じ?)
(いえ、別に何も……!)


fin...


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