コウノドリ

□居場所
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「はぁ……」
「疲れた?」
「いえ、すごく楽しいです!」
「それなら良かった、ちょっとこっちでお茶飲んで」
「あ、ありがとうございます……」



しばらく子ども達と遊んだ後、サクラさんがピアノを弾き始めたタイミングで景子ママさんに声をかけられた。
呼ばれた席に座り、有り難くお茶をいただく。
初めて来た場所なのにすごくほっとするのは彼が育った場所だからだろうか。
温かいお茶を少しずつ口に運びながら、改めて室内を見渡す。



「サクラから話は聞いてるわ。子ども達と遊んでみてどうだった?」
「……皆、可愛いです。元気で、笑顔が眩しくて……」



時折見せる寂しげな表情は、今ピアノを弾いている彼によく似ていて、それがまた切なさを感じさせた。
ピアノに向かっている彼の背中を見つめれば、子ども達に囲まれながら楽しそうにメロディを奏でている。
彼のピアノはここで、景子ママさんに教えてもらったと言っていた。
そう考えれば彼のピアノの原点はあのピアノと言えるのだろう。
あの頃の彼はどんなことを思ってピアノを弾いていたのか。



「サクラはね、楽しいことも悲しいことも辛いことも全部ピアノにぶつけてた」
「……」
「あの子にピアノがあって本当に良かった」
「それは、景子ママさんのお陰ですね」



彼女がピアノを教えていなければ、きっと今のサクラさんはいない訳で。
だからこそ彼は育ての母と、このママの家を大切にしているのだろう。



「でも、最近あの子のピアノ変わってきたのよ」
「え、?」
「たぶん貴女の存在があるからね。前よりもうんと優しくなった」
「そう、でしょうか……」
「BABYのピアノをずっと聞いてる私が言うんだから間違いないよ」



私の存在がBABYのピアノを変えた?
本当に?

もしそうだとしたら、何だかちょっと嬉しいような、恥ずかしいような。
そういえば以前、彼のライブを聞きに行った時に滝さんも同じようなことを言っていた気がする。



「二人で何の話?」
「そりゃアンタの話に決まってるでしょう」
「あ、もしかして僕の愚痴とか?気が利かないんです〜って」
「そんなことないです、サクラさんはすごく優しいです!愚痴なんてありません!」
「……サクラ、この子かわいいねぇ」
「でしょ?」



一瞬呆気に取られた二人が顔を見合わせて笑う。
私は私で自分の発言の内容に気づいて恥ずかしくなり、浮かせた腰を元に戻してお茶に手を伸ばす。
育ての親の前で何て恥ずかしいことを。



「ねぇ、桜月さん」
「は、はいっ」
「こんな気が利かなくてピアノしか取り柄のないような子だけど、どうぞよろしくね」
「そんな……私こそ、よろしくお願いします……!」



景子ママさんが急に真剣な表情で頭を下げるものだから、私も居住まいを正して深く頭を下げる。
隣で様子を窺っていたサクラさんが何とも気まずそうな声を発した。



「あのさ……景子ママ?別に結婚の挨拶とかじゃないんだから、そんなに改まらなくても……」
「何、違うのかい?アンタが昨日『紹介したい子がいる』って畏まって言うから私はてっきり……」
「勿論、ゆくゆくはそのつもりだよ?
でもまだ桜月本人には何も話してないから!」
「桜月さんもやけに緊張してるからそうなのかとばかり……緊張して損したわ」



あぁ、何だか色々情報が溢れていてどうすればいいのか。
私が緊張していたのは事実だけれども、まさかそんな風に捉えられていたなんて。
しかもサクラさん、今サラッととんでもないことを口にしたような気がしたのですが、それは私の気のせいでしょうか。
『それならいいわ、ゆっくり遊んでいって』と離れていく景子ママさん。
待ってください、この気まずい空気をそのままにしていかないでください。



「あー……じゃあ、何か弾こうか?リクエストある?」
「え、えーと……じゃあ『Brightness』を……」
「ん、分かった」



再びピアノの前へ向かうサクラさん。
子ども達からまた弾くの?何弾くの?何で変な顔してんの?と矢継ぎ早に質問されている。
かくいう私もきっと顔は真っ赤なはず。
火照る頬を押さえながら聞こえてきた軽快なメロディに耳を傾けた。






























「お邪魔しました」
「またね、景子ママ」
「はいはい、次は今日みたいなことにならないようにね」
「ごめんってば」
「桜月お姉ちゃん、また来てね」
「うん、ありがとう。また来るね」



たくさん子ども達と遊んで、あっという間に夕方を迎えた。
後ろ髪を引かれる思いでママの家を後にする。
冷たい風が頬を撫でる。
思わず先日のクリスマスに彼からプレゼントされたストールに顔を埋めれば、そっと手を取られた。



「何か結局一日付き合わせちゃってごめん。本当は昼で切り上げるつもりだったんだけどね」
「いえ、すごく楽しかったです」
「それならいいんだけど……」



少し歯切れの悪い言い方をするサクラさんに首を傾げれば、溜め息混じりに頭を掻きながら『桜月と二人の時間が少なくて僕はちょっと残念』なんて恥ずかしげもなく言うものだから、逆にこちらの方が恥ずかしくなる。
彼のこういうストレートな言葉にはいつまで経っても慣れない。
何と言葉を返せばいいのか逡巡していたら、繋がれた指先に軽く力を込められる。



「どうだった?ママの家」
「皆、元気で可愛くて……景子ママさんにたくさん愛情を貰っているんだな、って思いました」
「うん……確かにあそこにいる子達は親からの愛情は受けていないけど、景子ママから大事にされて愛情をたくさん注がれて。
勿論、人の何倍も苦労するけどきっと真っ直ぐに育って、人の何倍も何十倍も幸せになれるよ」
「サクラさんみたいに?」
「僕は……真っ直ぐかなぁ、どうだろ」



少し照れたような彼の横顔が愛おしくて、繋がれていた手を解いて、そっとその腕に抱きついた。



「、桜月?」
「サクラさん以上にお母さんと赤ちゃんに対して真っ直ぐに向き合ってる産科医を私は知りません。
だからきっとあの子達もサクラさんみたいになるはずです」



お母さんが景子ママさんだから、きっとそうなんです。
笑ってそう言えば、サクラさんの腕が背中に回ってぎゅうぎゅうに抱き締められる。



「心ちゃんもそうだといいな、と思います」
「うん、そうだね……」
「サクラさん」
「ん、?」



不意に思い出したのは彼がママの家で発した『ゆくゆくはそのつもりだ』という言葉。
勿論、私自身も思い描いたことがないとは言わないけれど。

『家族』というものに強い憧れと不安を抱いている彼と、
『家族』とは呼び難いコミュニティで育った私とで、
いつか形成する日が来るとしたら、どうなるのだろう。



「……お腹すいちゃいました」
「アハッ、じゃあ何か食べて帰ろうか」
「はい、是非」



今はまだ、彼とのこの穏やかな時間を大切にしよう。
来たるべきその日を迎えるまでは。


*居場所*
(うーん……)
(どうしました?)
(手を繋ぐのもいいけど、腕組むのもいいね)
(難しい顔をしてるから何かと思ったら……)
(手と腕では密着度が違うよ?)
(今の季節はくっついていた方が温かいですしね)
(僕としてはオールシーズン大歓迎だけどね)


fin...


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