S 最後の警官長編

□最終話
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次の日、不動産屋さんには謝罪して仮契約状態にあった部屋をキャンセルしてもらった。
少し年上のお姉さんが担当で今回の件では色々とお世話になったし、親身になって話も聞いてもらった。
その分、申し訳なかったけれど今、お世話になっている人のところでそのまま暮らすことになったと話をしたらニヤニヤしながらキャンセルの手続きをしてくれた。



「あっ……おかえりなさーい」
「……ただいま」
「部屋、キャンセルしてきました」
「そうか」
「はい」



何となく気まずいというか、何か気恥ずかしいというか。
今までどうやって会話してた?
どんな話をしてた?

そんなことをぐるぐる考えていたら、上着を脱いだ蘇我さんが溜め息を吐いた。



「…………桜月、」
「は、はいっ?!」
「お前、挙動不審にも程がある」
「、え」



街中でそんな状態だったら職質かけられるぞ、と呆れたように言われる。
どうしてそんなに平然としていられるのかを逆に問いたい。

昨日、ハイペースで500ml缶を6本空けた蘇我さんは私に口付けた後でまさかの寝落ち。
眠ってしまったのに手首を掴まれて、何故か力が強くて振り解こうにも離れてくれなくて。
酔い潰れた人間ほど重い物はない。
何とか揺り起こしてベッドに運んだものの、蘇我さんの手が私の手首を掴む力が緩むことはなくて、片付けも終わってないしどうしよう、と思っていたら、強い力で引き寄せられて蘇我さんの隣に。
抜け出そうともがいているうちに疲れたのとお酒の力も相まって、優しい温もりに包まれて私まで寝落ちしてしまった。

朝目覚めてみれば、何食わぬ顔で仕事に行く準備をしている蘇我さんと二日酔いで酷い頭痛に襲われている私。
『今日もできるだけ早く帰る』と言って、するりと私の頬を撫でていった蘇我さんに、心臓を撃ち抜かれた気分。
ただ、二日酔いから立ち直ることはできなかったので仕事は有給休暇にした。



「……何で、」
「何だ」
「何で蘇我さんはそんなに平然としてるんですか。
もしかして何も覚えてないとかですか」
「馬鹿か」
「じゃあ何で」



昼くらいからようやく二日酔いも治まり、洗濯や掃除などの家事を済ませて夕飯の準備。
そうこうしているうちに蘇我さんから『今から帰る』とメールが届いた。
こんなメール初めてだな、と思いつつ『承知しました』と返信。

文句を言いながら夕飯を並べていたら、私の後を追ってキッチンに入ってきた蘇我さんに後ろから抱き止められた。



「そ、蘇我さんっ?!」
「……平然としてるように見えるか?」
「見えます」



耳元で小さな溜め息が聞こえたと思ったら、腕の中でくるりと反転させられた。
昨日に引き続き、至近距離な蘇我さんの顔。
しかしながら昨日と違う点があるとすれば、それはお互い素面なこと。
流石に私もこの距離に蘇我さんの顔があると恥ずかしいやら何やらで思わず顔を伏せてしまう。



「これでも一応、浮足立ってる」
「……どこが?」



思ったことを素直に口にすれば、再び吐かれた溜め息。
そんなにあからさまに呆れなくても。
だってそんな風には見えないし、どう考えても浮足立っているのは私の方なのに。
そんなことを考えていたら腰に回されていた蘇我さんの手が、私の手首を捕らえてそっと持ち上げられた。
そしてそのまま掌を蘇我さんの胸へと押し当てられる。



「蘇我さ…………」
「……分かるか」
「…………ものすごく、早いです、ね」
「そういうことだ」



そっと視線を上げれば、見るなと呟かれて頭を肩口に押さえられる。
あぁ、余裕がないのは自分ばかりだと思っていたけれど、どうやらそうでもなかったらしい。
彼の鼓動と、自分の鼓動が混ざり合うような感覚が心地良い。



「、蘇我さん」
「……名前」
「え?」



彼の名を呼べば、ぽつりと呟く。
ゆっくりと身体を離すと、切れ長の瞳で真っ直ぐに見つめられてまた心臓が跳ねた。



「お前こそ、いい加減名前で呼べ」
「……え、?」
「敬語もいらない。神御蔵と同じ年なら俺とも同じだ」
「えぇー……」



何という無理難題。
いや、確かに私が言い続けてきたことだけれども、彼と私のニュアンスは違う。
そもそも蘇我さんは名字でも名前でもなく『お前』と呼ぶから、それが嫌だった訳で。
だから『お前じゃないですよー、桜月ですよ』と言ってきただけで、私はちゃんと呼んでいる。

そう伝えれば『フェアじゃない』とどこか怒ったような、というよりは若干拗ねたような彼の表情。
こんな顔もするんだな、とまた新たな一面を知ることができて少し嬉しくなる。



「え、と……」
「知らない訳じゃないだろう」
「知ってますよ、名刺もらった時に覚えました!」
「なら早く」
「い、……伊織?」



それで良い、と笑った彼にゆっくりと口付けられる。
お酒の力を借りていない、今度こそちゃんとしたキス。



「蘇我さん?」
「…………」
「あ、伊織……?」
「何だ」
「これからも、よろしく、ね?」
「あぁ……」



どうかこの時間が長く続きますように。
そう願いながら、背伸びして私からキスを送った。


*始まりは突然に*
(蘇我さん、ご飯食べましょっか)
(……だから、名前と敬語)
(あぁー……追々気をつけます)
(今晩中に名前も敬語も間違えないようにしてやる)
(……今、晩?)
(覚悟しておけ)
(蘇我さんが言うとシャレにならないのですが……)


fin...


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