コウノドリ長編

□一話
2ページ/2ページ


定時で上がれるはずが、退勤直前に緊急搬送されてきた患者の対応に追われて気づいた時には20時を回っていた。
まだマシな方かと自分に言い聞かせるようにしてマンションへの帰路につく。



「……ん?」



少し前を歩く荷物を両手に持った女性、挙動が怪しくないか?
やけにフラフラしているが大丈夫だろうか。
そう思っていたら自分が向かっていたマンションへ姿を消した。
自宅が目の前なら大丈夫か、と後を追う形になるが彼女と同じマンションのエントランスをくぐる。
決して心配だから後をつけた等ではなく同じマンションに住んでいるのだから仕方がない。



「どうしました?!」
「……すみません、大丈夫…です」



エレベーターの前でうずくまる人影。
近づけば先程の女性だった。
化粧をしていても分かるほど顔色が悪い。
脈を測ろうと手を取ると弾かれたように手を引かれた。

無理もない、いくらマンション内とは言え若い女性が見ず知らずの男に手を取られたら拒否されて当然だ。



「すみません、僕すぐ近くのペルソナ総合医療センターに勤めてます、鴻鳥サクラと言います」
「……お医者、さん?」
「はい。一応身分証明書代わりになるかな、コレ」



IDカードを取り出して見せれば、信じてもらえたようで目に見えて体の硬直が解けた。
うぅっ…と呻き声を上げて下腹部を抱える、目の前の女性。
これは、もしや…



「すみません、ちょっと脈を取らせてくださいね」
「………」



極力優しさが声に出るよう柔らかめに声をかければ、眉を寄せたまま小さく頷かれる。
改めて脈を測るが奥の深いところを探ってようやく触れる。
触れた手がやけに冷えているのが気になる。



「…寝不足とか、仕事が忙しいのとか……体調悪いのとか、色々あって…」
「お腹以外に辛いところはありませんか?見たところ貧血もありそうですが…」
「…とりあえず、他は、大丈夫です」
「部屋の前まで送ります」
「えっ…?」



これもまた至極当たり前の反応だ。
しかし、これだけ顔色の悪い人を放っておけない。
エレベーター内で倒れないとも言い切れない。
それならまだ部屋まで送った方が安心だ。



「すみません、さすがに今の状態の貴女を放っておけないので。
送り届けたら部屋の場所とか今日会ったこととか忘れますから」
「いや…無理でしょ……」



我ながら無茶苦茶なことを言っているのは分かっている。
彼女も力なく笑う。
とりあえずここで蹲っている方が体が冷えて、余計に体調が悪くなりそうだ。
周囲に捨て置かれた荷物を拾ってエレベーターのボタンを押す。



「何階ですか?」
「…………4階…402、です」
「えっ、」



今度は自分が声を上げる番だった。
何という偶然だろうか。
到着したエレベーターに彼女を抱えるようにして乗り込み、4階のボタンを押す。



「……あの?」
「えーと、すみません。僕たちお隣さんだったみたいです」
「…………え?」
「僕、403なんです」
「……」



信じられない、と顔に書いてあるのが見て取れる。
自分自身も信じられないのだから無理もないが、曲げられない事実なのだからどうしようもない。



「……コウノトリ、って」
「はい?」
「あの…コウノトリってお名前、なんですよね」
「あぁ、はい。珍しいとよく言われます」
「何か…産婦人科が合いそうなお名前ですね」
「あ、はい。僕、産科医です」
「わぁ…道理で」
「……?」
「いつ行ってもいないので…納得しました」




いつ行っても…?
確かに家にいないことが多いが、何故自分が不在がちなのを知っているのだろうか。
不審に思っていたのが顔に出てしまっていたのか彼女がすみません、と頭を下げる。




「少し前に引っ越してきたんです。何度かご挨拶に伺ったんですが、いらっしゃらなくて…」
「あぁ、成程…」



そうこうしている内にエレベーターが到着する。
先程、蹲っていた時より少し落ち着いたのか歩き方が少しだけしっかりしたように感じる。



「すみません、荷物ありがとうございます」
「いえ、………あの、お節介なんですが」
「…はい?」
「寝不足も過労も生理が重くなる原因になりやすいので、せめて生理中は無理しないようにしてください」
「っ…、バレてました?」
「一応、専門医なので」
「すみません…いつもはここまでひどくならないし、極力気をつけてはいるんですが、ちょうど仕事が忙しい時期で…」
「末端も冷えてましたし、温かくしてゆっくり休んでくださいね」
「…気をつけます」



彼女の部屋の前で荷物を手渡す。
お節介ではあるが、また倒れるようなことがあっても彼女自身も困るだろう。
もし常に生理痛が酷いならば受診も勧めるが、そうでないならば少し自分の体を労ってあげるだけでもだいぶ違うとは思う。
お大事に、と頭を下げてから自分の部屋の扉を開けて体を滑り込ませる。



彼女が引っ越してきてからしばらく経っているようだが、今まで会わなかったことを考えると今後もそこまで顔を合わせることはないだろう。
顔色の悪さが気がかりだが、またもしどこかで会うことがあれば世間話に体調を聞いてみよう。

さて、明日も仕事だ。
人に偉そうなことを言えるほど生活習慣が整っている訳でもない。
今日は早めに寝ることにしよう。



next...


次の章へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ