コウノドリ長編

□三話
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「あ、こんにちは」
「あぁ、こんにちは。お出かけですか?」
「同僚とBABYのライブに…あ、BABYってご存じですか?」
「え、えぇ…まぁ一応…」



マンションの自室を出たところで隣室に住む女性、高宮桜月さんと会った。
こうしてお隣さんとして会うのは初めてのことだ。
他愛もない会話をしながら、一緒にエレベーターに乗り込む。
そうか、今日は彼女が来るのか。



「BABYのライブ、行くの二回目なんですよ」
「そう、なんですか」
「前回同僚に連れて行ってもらって、すっかりファンになってしまったんです」
「うちの患者さん達もBABYのピアノを胎教にしていると聞きますよ」
「あぁ、妊婦さんにも人気みたいですね、BABYって名前だけありますね〜」



前回のライブで彼女が来ていたのは知っていた。
初めは似ている人がいるな、と思っていたが演奏の合間によく見れば彼女本人だった。
女性は服装と化粧で随分と印象が変わると思ったのもその時で。
鴻鳥サクラとして、彼女に会ったのは2回だがそのどちらも雰囲気が違っていたが、ライブの時はまた雰囲気が違って年相応の若い女性、という印象が強かった。
勿論今日も、同様ではあるが。

さすがに本人に対してその点を話すつもりはなかった。



「鴻鳥さんもお出かけですか?」
「えぇ、ちょっと隣駅まで」
「あ、一緒ですね!ライブも隣駅のライブハウスであるんですよ」



えぇ、知ってます。何なら僕も今からそこに行きます、とは言えず。
奇遇ですね、ご一緒してもいいですか?と聞くので精一杯だった。



「前回は2時間演奏聞けたんですが、今日はどうかなー」
「あぁ…途中で立ってしまうこともあるらしいですね」
「そうなんですよ、やっぱり芸術家気質の人って気分屋なんですかね」
「どう、なんでしょうね…」



言えない、オンコールだからいなくなるんです、なんて。
何げない会話をしていたら、前方から小さな子どもが駆けてくるのが目に入った。
あれ、と小さな呟きが隣から聞こえた気がした。



「せんせー!」
「あ、やっぱりたっくん!」
「桜月先生だー!」
「えーと、保育園のお子さんですか?」
「そうなんですけど……たっくん、ママは?」
「ちょっとー!龍哉ー!一人で行かない!」



慣れた手つきで、たっくんと呼ばれた子を抱き上げる高宮さん。
その姿が急にあの時見た保育士の姿に重なって見えた。
次の瞬間、たっくんが走ってきた方向からお母さんと思われる女性の声が飛んできた。
その方向を向けば大きなお腹をした妊婦さん。
おや、この人は……



「加藤さん…?」
「あらー?鴻鳥先生こんにちは。龍哉が桜月先生がいたって走っていったと思ったら…」
「お母さん、こんにちは。大丈夫ですか?」
「先生ごめんなさいねー」
「いえいえ、たっくんがこうして来てくれて嬉しいです。
でも、たっくん。道路ではママから離れたら危ないよ?」
「…はぁい」
「本当に、桜月先生が大好きなんだから…」



見たことがあると思えば僕の担当の患者さん。
確か38週で前回の健診は何も問題なく、後はお産が来るのを待つだけの状態だった。
上のお子さんは保育園に行っていると言っていたが彼女のところだったのか。
世間は狭いなぁ、としみじみしてしまう。

なんて彼女と彼女に抱っこされている龍哉くんを見ていたら、ニヤニヤという言葉がピッタリ当て嵌まる表情で加藤さんがこちらを見ていた。



「加藤さん?」
「いえ、桜月先生が少し前に園庭で男の人と楽しそうに話してるのをママ友が見たって聞いて、どんな人かなーって思ってたら鴻鳥先生だったのねー」
「はい?」
「ほら、龍哉。邪魔しないの。先生達はデートなんだから」
「お母さん…違いますよ?」
「桜月先生、照れちゃってー!そんなオシャレしててデートじゃない訳ないじゃない!」
「鴻鳥さんはお隣さんなだけであって、デートじゃありませんよ。今日はちょっと別件で出かけるだけで」
「そうですよ、たまたま途中まで行き先が一緒なだけで…こんなオジサン相手にされる訳ないじゃないですか」
「そうやって慌てると余計怪しいよ、先生達」



園庭で話していた、とは不審者扱いされそうになったあの時のことか。
まさかこんな風に噂になってしまっていたとは。
彼女の職場だというのに、重ね重ね申し訳ない。



「……お母さん、」
「分かった分かった、デートじゃないなら」
「いえ、お母さん。体調大丈夫ですか?」
「えっ、」



隣にいた彼女の声のトーンが急に変わったことに驚いて、目の前の加藤さんを見ると確かに過ごしやすい気候にしては汗をかいているような…



「加藤さん、お腹張ってませんか?」
「いや…朝からお腹痛いとは思ってたんだけど……最近、前駆陣痛が結構あったから、それかと…思ってたんだけど、ごめん…先生達……」
「お母さん!?」



お腹を抱えるようにしてその場で崩れる加藤さん。
体を支えてゆっくり座らせれば、深く呼吸を繰り返している。
うん、これはたぶん…



「鴻鳥先生…」
「加藤さん、これは前駆陣痛じゃないです」
「だよね…」
「え、陣痛?お母さん、大丈夫ですか?」
「桜月先生、まだすぐには産まれないから…いてて、」
「とりあえず病院行きましょうか。加藤さん、間隔どのくらいか何となくでいいので分かります?」
「んー…たぶんだけど7分」
「経産婦さんはそこまで我慢しないでください」



タクシーを捕まえるべきか、病院に連絡するか悩んでいたら、ヤバい、と声が漏れ聞こえた。



「先生、破水したっぽい」
「…待てないな。すみませんが高宮さん、お子さんお願いします」
「あっ、はい!」



スマホから病院に連絡を入れる。
破水した妊婦をすぐに乗せてくれるタクシーはあまりいない。
経産婦ということを考えれば病院に救急車を呼んででも直行した方が間違いない。
少なくとも路上で産まれてしまうよりは断然いい。



「先生、ごめん…入院セットとか何もないや」
「それは後でご主人に届けてもらいましょうね、大丈夫ですよ」
「ママ〜…」
「たっくん、大丈夫だよ。ママ、赤ちゃんが産まれるの。先生も一緒だから、ね?」



休みの日なのに申し訳ないが、彼女がいてくれて助かった。
この状況で上のお子さん、龍哉くんまで気を回している余裕はない。
救急車の音が近づいてきた。
どうやら病院までは何とかなりそうだ。



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