コウノドリ長編

□六話
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あの怒涛の一日から二週間は過ぎただろうか。
龍哉くんのお母さんは先週、無事赤ちゃんと一緒に退院したとお父さんから連絡を受けた。
あの日以来、龍哉くん…たっくんは赤ちゃん返りをしているようで園にいる間、私の側からほとんど離れない。
お母さんは体調的に家庭での保育も送迎も難しいとのことでお父さんが毎日お家にいたいと泣いているたっくんを連れて来て、まだ遊びたいと泣くたっくんを連れて帰る。
家でもかなり甘えん坊になっているようで、たっくんも心配だが産後のお母さんの体調もかなり気がかりだ。

勿論、園にいるのはたっくんだけではない。
他にもたくさんの子ども達がいる。
一人ひとり、色々な家庭があり、一つ一つの家庭に事情がある。



「……何か、疲れた」



今週はやけに長く感じた。
思い出すだけでも疲れが増す。
こういう時は手を動かすのが一番だ。
キッチンに向かいながら、ふと思い出したことがある。



「………この前のお礼、どうしようかな」



スマホのメールボックスを開いて先週のやり取りを思い返す。
お礼のお礼をしたいとメールをしたが、当直だったり呼び出しだったり、とにかくタイミングが合わなかった。
常から忙しい人だとは思っていたけれど、まさか連絡を取ることすら難しいとは思っていなかった。
出産はいつ始まるか予測ができない。
だからこそ彼は忙しいのだとは思うが。



「これは…なかなか茨の道だな」



まぁ、この際お礼のお礼は置いておくにしてもとにかく何か作ろう。
帰りに買い物をしてきたので冷蔵庫の中身は潤沢だ。
せっかくだから常備菜もたくさん作ろう。



「やるぞー!」



































「……あ、いい匂い」



何処かの家は夕飯時なのだろう。
家庭料理のいい匂いがマンションの廊下を漂っている。
そういえば彼女も料理が好きだと言っていたな、なんて思い出す。

先週だったか『先日ご馳走になったお礼させていただきたいので、都合のいい日を教えてもらえると嬉しいです』とメールが来ていた。
ちょうどその日は比較的落ち着いている当直の日だったので、すぐにメールの返信はできたが都合のいい日となると返事に困る。
悩んだ挙句『最近病院に入り浸ってて、先が読めないので予定が空いたら連絡しますね』と返信した。
送った後でこれって体よく断ってるように捉えられそうだな、と思ってしまったが後の祭り。
それでも『連絡お待ちしてます!』と笑顔の絵文字付きで返信が来た。
食事に行った時は社交辞令かと思っていたけれど、メールが届いた時は正直嬉しいと思った。

まだ、あの約束は有効だろうか。
アドレス帳から彼女の名前を探して、メールを打とうと思って手を止め、通話をタップする。
これで出なかったら諦めて部屋でカップ焼きそばを食べよう。
いや、決してご馳走になりたいとか声が聞きたいとか、ましてや顔が見たいとか、そういうことではなくて。
全く……誰に言い訳をしているのか。

数回の呼出音の後、電話が繋がった。



『…もしもし、?』
「突然、すみません」
『いえ、大丈夫ですよ。どうされました?』
「あの……僕からこんなことを言うのも何ですが、あの約束ってまだ有効ですか?」
『えっ…あ、ご飯の話ですか?』
「そう、です」



変に緊張しているのは二週間も前の話、しかも自分から半ば断るようなメールを送っておいて今更こんな電話をしていることへの後ろめたさからか。
こんな言い方をしたら、電話の向こうの優しい女性はきっと断れないのに。
狡いなぁ、僕は。



『ちょうど良かった!』
「え、?」
『今日、食材買い込んで色々作ってたところなんです。
サクラさん、今どちらにいらっしゃいますか?』
「今ちょうど部屋の前に着いたところで…」
『じゃあ荷物置いたらそのまま家にいらしてください!』
「……え?」



想像していた反応の斜め上を行く返答に上手く頭が回らない。
彼女の部屋に、お邪魔する?
今から?……本当に?

色々な考えが頭の中を駆け巡って無意識の内に黙り込んでいたようで、電話口から不安そうな声が聞こえた。



『すみません、一人で勝手に先走って……』
「あ、あぁ…いえ。すごく有り難いんですが本当にお邪魔していいんですか?」
『大丈夫です!お待ちしてますね』



じゃあすぐ後ほど、と通話を終えれば途端に現実味を帯びる。
荷物と言っても今日はスマホと財布以外の物は持っていない。
だからと言ってそのままインターホンを鳴らすのもどうかと思い、一度自室に足を向けた。

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