MIU404

□私限定の治療法
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「桜月」
「……………何?」
「ほら、またやってる〜」



今日は仕事休みのはずなのに、クライアントから急な仕様変更を頼まれて仕方なくパソコンと向かい合っている。
本来ならばきっとクライアント先まで向かうべきところなのは分かっている。
けれど何度でも言う、今日は休みなのだ。
在宅で何とかするから、と上司にゴネて無理やり家のパソコンで仕事中。
今日はせっかく彼も非番で家にいるというのに。
何なら出かける予定もあったのに。

彼の言葉を借りるならば、休みを合わせて『キャッキャウフフする』ような付き合いの長さでもない。
ただやはり彼がいるのにパソコンと仲良くしなければいけない、この状況。
仕方ないとは言え、ストレスが溜まる。

そして、ストレスが溜まると無意識に唇を噛んでしまう癖があるようで。
ここ最近、仕事が忙しいこともあって気づけば下唇はボロボロ。
ひどいと血が滲んでしまうこともある、らしい。
私自身は無意識なので気にしていないが、傍から見ている藍は相当気になるようで。



「それ、治んねーなぁ」
「無意識だもん、仕方なくない?」



ずり落ちてきたブルーライトカット眼鏡を元の位置に戻しながら、ディスプレイから彼へと視線を移せば大きな手でよしよしと頭を撫でられる。



「眼鏡姿もきゅるきゅる〜」
「そういうの、いい」



ぺしっ、と頭に乗せられた手を払い退ければ、ちぇー……と引き下がる藍。
いつもならば何かと絡んでくる彼も今私が急ぎの仕事をしているのは分かっているようでこれ以上ちょっかいをかけてくることはない。
流石にそこは分かってくれている。
それもまた申し訳なくて。



「桜月〜」
「え、またやってた?」



もう完全に悪い癖。
リップクリームを塗れば少しはマシになるだろうか。
いや、でももう無意識だしどうしようもない気がする。
仕事の片手間に『唇 噛む 癖』なんてワードで検索をかければ『ストレスを溜めないようにしましょう』とか『誰かに話を聞いてもらいましょう』とか分かりきっていることばかり出てくる。
現状、それができれば苦労はしていない訳で。



「もー……言われると余計気になるんだけどー……」
「じゃあ次に唇噛むの見つけたら、即ちゅーするから」
「えー……」



それはそれで仕事に支障が出そうで困る。
気をつけないと間違いなく有言実行してくる。
とりあえずリップクリームを塗って少しでも意識しよう。
そうしたら噛み癖も減るかもしれない。









































「………桜月?」
「何?噛んでないでしょ?」
「そんなにちゅーすんの嫌?」
「仕事に集中したいの、もう少しで終わるから待ってて」



藍の『唇噛んだらちゅー』宣言から1時間。
リップクリーム効果もあってか、今のところ唇を噛むことはない。
非常に面白くなさそうな彼を視界の端で捉えながら、あと一歩のところまで来ている仕様書とにらめっこ。



「これをこう……で、よし!終わりー!」
「お、お疲れ様〜」



あとは上司に投げてしまえば私が今日急ぎで片付ける分は終わり。
意訳すれば残りはよろしくね、と言う内容をチャットで送ってから社内クラウドに送り込む。
休日手当もらわないと……と思うくらいに働いた。
寧ろ明日を休みにしたいくらいだ。
パソコンを閉じて眼鏡を外す。
すっかり体が固まってしまった。
首を回していれば背後に忍び寄ってきた藍が肩を揉んでくれる。



「あぁ〜……ありがと、気持ちいい」
「お客さーん、凝ってますね〜」
「急に仕事が入ったもので」
「それはお疲れ様でしたー、今日はもう終わりですか〜?」
「今日はもう終わりでーす」
「じゃあ今日はのんびりしますか〜」



こんな茶番ができるくらいの余裕は戻ってきたらしい。
ふふっ、と笑みが漏れる。
何だよ〜、なんて後ろから聞こえるけれど、彼の表情は見なくても想像がつく。
間違いなくニヤニヤしている。



「ほら、やっぱり」
「ん〜?」
「藍はニヤニヤしてるだろうな、って思って」
「ニヤニヤって言い方〜」
「じゃあ、何?」
「イケメンのカッコいい笑顔?」
「はいはい、イケメンイケメン」



だから2回言うなって、とお決まりの台詞。

休みを仕切り直して予定通り出かけてもいいけれど、立てていた計画を全てこなす時間はなさそうで。
まぁ別に出かけるってだけで急ぎの用事でもない。
また他の日に回しても一向に構わない。

そうなると今日の残りの時間はどうしよう、となる訳で。
夕飯の買い物くらいは行きたいかな、というかそれくらいしかできないかな、なんて思っていたら、急に視界が薄暗くなって唇に柔らかな感触。



「っ?!」
「隙あり〜」
「えっ、何?何で?」
「言ったじゃーん?次噛んだらちゅーするって」
「今、噛んでた……?」
「めちゃめちゃ噛んでた」



気づかなかった。
仕事が終わって気が抜けたのかもしれない。
それにしても本当にされるとは。
無意識とは怖い。

………………………あぁ、でもキスしたいな。

いやいや、何考えてるんだ。
急な仕事で疲れてるんだ、きっと。
もう一回、して欲しい、なんて。
そんなこと言えない。

言えないけれど、



「藍ちゃん」
「んー?」



言葉には出せなくて。
でも、きっと彼なら分かってくれる、はず。
そういう期待を込めて、名前を呼んでから唇を噛んでみる。

一瞬だけ驚いた表情をした後で、ニヤニヤしながら抱き寄せられる。
間違いなく、分かっている。



「その癖治るまで、ちゅー、する?」
「……治っても、してよ」
「もちのロン」



一層笑みが深くなった彼に口付けられるまで、あと3秒。


*私限定の治療法*
(俺がいない時も数えといて、帰ってきたらちゅーするから)
(無意識なんだから無理じゃない?)
(んー……じゃあとりあえず帰ってきたらちゅーしよっか)
(噛むの確定ってこと?)
(ん?俺がしたいだけ〜)


fin...


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