MIU404

□安定剤
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今日はツイていない日だ、とつくづく思う。
後輩のミスが発覚して取引先に謝罪しに行ったり、用意したはずのお弁当を忘れたり、またしても定時間際に話の長い取引先の部長の電話を受けてしまったり。
社屋を出る頃にはもうぐったりで、更に追い打ちをかけるような、雨。

天気予報で雨は降らないと言ってたのに。
普通の傘どころか折りたたみ傘すら今日は持ち合わせていない。
仕方なく会社近くのコンビニまで走るけれど、考えることは皆同じようで傘の棚は何一つ残っておらず、踏んだり蹴ったりとはまさにこのこと。
仕方ないからイートインスペースでコーヒーでも飲みながら雨が止むのを待つことにしよう。
どうせ半同棲中の彼は当番勤務で今日は不在。
夕飯の心配をする必要も帰りを待たせている心配もない。
しいて言うなら彼がいたらお迎えを頼めたのに、とは少し思う。

コーヒーは何にしようかな、なんて思っていたらジャケットのポケットの中でスマホが震えていることに気づいた。
会社からの電話かと表示を見れば、そこには今考えていた彼の名前。
躊躇う必要もなく応答をタップしてスマホを耳に当てる。



「もしもし?」
『あ、桜月〜。今どこにいる?』
「会社近くのコンビニ」
『傘は?』
「持ってないし、売ってもないから雨宿りしてる」
『だと思った〜』



あいも変わらずご機嫌そうな声色で何より。
それにしても何の用件で電話をかけてきたのか。
いつも休憩時間だと言って電話をかけてくる時間にはまだだいぶ早い。
見えるはずもないけれど、緩く首を傾げれば電話の向こうで彼が小さく笑った、気がした。



「藍?」
『俺さ、今日の重点密行、桜月の会社の辺りだから傘持ってくわ』
「え、」
『志摩もそれくらいならいい、って言ってるからさ』
「でも、」
『さすがに送ってくのはダメだけど、それくらいするって〜すぐ行くから!』



こちらの返事は待たずに通話が終了された。
彼の行動にいちいち目くじらを立てていては身がもたないのは重々承知している。
どのみち雨宿りしていくつもりだったのだ。
その時間が少し短くなると思えばラッキー、その程度に思っておこう。

この近くにいると言っていたし、10分ほどで来るのだろうか。
どのくらいかかるかくらい聞いておけば良かった。
すぐ来ると考えて、二人分のコーヒーくらい買っておこうかな。














































自分のものとこれから来るであろう二人のコーヒーを買って、コンビニのイートインスペースの片隅でカップを傾ける。
濡れた窓ガラス越しに外を眺めていれば、見覚えのあるメロンパンの移動販売車。
あれが警察車両だなんて誰も信じないだろう。
飲みかけのコーヒーと袋に入った二人分のコーヒー、それと仕事用の鞄を引っ下げてコンビニの自動ドアをくぐる。
先程コンビニに駆け込んで来た時よりは雨脚が弱くなった気がするけれど、傘を差さずに帰れば風邪を引きそうなくらいには降っている。
メロンパン号へ駆け寄る前に向こうから傘を差して走ってくる人影。
日が落ちて顔は判別できないけれども、あれが誰なのかくらい顔を見なくても分かる。



「藍ちゃん」
「お待たせお待たせ〜」
「ごめん、ありがとう。助かる」
「ぜーんぜん?つーか送れなくてごめんな〜?」
「仕事中なんだから当たり前でしょ」



手に持っていたビニール傘を差し出す藍。
それを受け取った時に触れた手の温もりに、疲れ切った心が少し和らいだ気がした。
そんな私の心境を知ってか知らずか、ジャケットのポケットから取り出したタオルを私の頭に乗せて、わしわしと雑に髪を拭いてくる。



「ちょ、ちょっと?藍ちゃん?」
「濡れたまんまだと風邪ひくじゃん?」
「それは、そうだけど……」
「捨てられた子犬みたいな顔してさぁ……ほっとけないっつーの」
「え、」



彼の言葉に驚いて顔を上げれば、どこか怒ったような、寂しそうな、困ったような……色々な感情が入り交じった表情の藍と視線が絡まる。
こんな顔、あまり見たことがないかもしれない。
どう返事をしていいのか分からなくて。
きっと困った表情をしているのだろうな、と自分でも思う。



「仕事、何かあった?」
「まぁ……それなりに、色々と」
「だよなぁ、そんな顔してる」



ふぅ、と溜め息を吐いた後でちょっと待ってて、と車に走って戻っていく藍。

あ、しまった。コーヒー渡すの忘れた。
そんなことを考えていたら、運転席の志摩さんと二言三言、言葉を交わして再びこちらへ駆けて来る藍。



「藍ちゃん……?」
「乗って」
「、えっ?」
「危ないから送ってく」
「だって、仕事中」
「志摩もいいって言ってるから、早く」



あんな短い会話の中で何をどう話して説得したのだろう。
良いと言ったというけれど、それは果たして志摩さんが心から納得しているのだろうか。
諦めの境地で半ば投げやりに良いと言ってくれただけではないのだろうか。
もしそうだとしたら申し訳ない、それどころか仕事の邪魔をしている訳であって迷惑千万極まりない。

そんなことを考えていたら、事件起きたら送っていけないから早く、と再び急かされて。
痺れを切らした彼に手を引かれて、警察車両としては致命的なほどに目立つメロンパンの移動販売車へと足を向ける。



「志摩さん……」
「あぁ、どうも。大丈夫ですか?」
「え、?」
「体調、悪いんでしょう?」
「そうそう、だから志摩もちょっと目つぶってくれるって〜」



なるほど、そういうことか。
広義的には確かに体調が悪い。
厳密に言えば少し違うけれど、もっともらしい理由が体調不良だったということ。
職権濫用ではないかとも思ったけれど、警察官として体調の悪い人間を放っておくこともできない、という考えに至ったのだろう。
変なところで頭の回転が良い。



「すみません……」
「いえ、機捜の仕事とは少し違いますが、警察官としては放っておけないので」
「…………すみません」



何か、本当に申し訳ない。

メロンパン号のバックドアを開けてもらい、後部座席……助手席の真後ろまで進む。
何となく彼との距離が近い場所に座りたい。
じゃあ俺もこっち、と後部座席に腰を下ろしかけた藍に運転席から『お前は助手席だ』と声がかかる。
何かとぶつぶつ文句を垂れていたけれど、それは至極当然のこと。
今、彼は職務中で、今回に限り送ってもらうことになったのだから。



「じゃあしゅっぱ〜つ!」



助手席に座り、何故か楽しそうな彼が出発の音頭をとる。
運転席の志摩さんは溜め息一つ吐いた後でゆっくりと車を発進させた。































「はい、到着」
「あの……志摩さん、すみませんでした」
「いえ、お大事に」
「ありがとうございました。
あ、これ。良かったらコーヒー飲んでください」
「あぁ、すみません。いただきます」



アパートの前に車を横付けされると勢いよく助手席から飛び出していった藍。
バックドアを開けに行ってくれた模様。
迷惑をかけた彼の相棒に後部座席から声をかければ、こちらを振り返り軽く頭を下げられた。
慌てて頭を下げ返して先程購入したコーヒーを渡してから藍が開けてくれたバックドアへと向かう。

彼に手を差し出されて、何も考えずにその手を取る。
ゆっくりと車から降りれば、手を離されることなくドアが閉められる。



「藍……?」
「ごめん、ちょっとだけ」
「え、ちょっ……」



何の断りかと首を傾げる前に彼の広い胸板に顔を埋める形で抱き締められる。
すぐそこには志摩さんがいるというのに、突然どうしたのだろうか。



「ちょ、ちょっと?藍ちゃん?」
「疲れてるっぽかったからさ、ちょっとだけ充電?」
「……ばか」



明日は早く帰るから、と額に口付けられれば先程までの鬱々とした気分も幾分和らいだような気がして。
案外私も単純らしい。
十秒だけ、と誰に聞かせるでもない言い訳をしてから彼の背中に腕を回した。



「じゃ、行ってくる」
「うん……ありがと、藍」
「どういたしまして〜」



きっちり十秒で離れていった彼は私の頭に手を乗せて、ポンポンと子どもをあやすように撫でてからメロンパン号の助手席へと駆けていく。
振り返りざまに見えた彼の横顔は今私を抱き締めた時の表情とは打って変わってすっかり気持ちが切り替わっていて。

どうしてだろうか、彼の後ろ姿を見ているとこんなにも心が穏やかでいて、それでいてどこかでさざ波立つようなこの感覚に襲われる。
自分でも抑えきれない。



「あ、藍っ」
「んー?」



彼が助手席側のドアに手をかけたところで、思い出した。
先程志摩さんに渡しておいたコーヒーの存在。
おそらくもうすっかり冷めてしまっていそうだけれども、せっかくだから飲んでもらいたいもので。



「藍、志摩さんにコーヒー差し入れしておいたからよろしくね」
「おっ、マジで?サーンキュ」
「私こそ、ありがとう。結局送ってもらっちゃってごめんね」
「いいっていいって。とにかくもう部屋入って。今日はあったかくして寝ろよ」
「うん、藍も気を付けてね」
「ん、おやすみ」
「おやすみ、藍」
「まぁ、また後で電話するけど〜」



背中越しにひらりと手を振って助手席に乗り込む藍。
彼が乗ったと同時に発進するメロンパン号。
ハザード三回点滅して、路地を曲がって見えなくなった。

ほんの少しの逢瀬ではあったけれど、今日受けたストレスは随分軽減されたように感じる。
彼はきっと私の精神安定剤。


*安定剤*
(あ、もしもーし。さっきぶり〜)
(……ホントに電話かけてきた)
(だってかけるって言ったじゃーん?)
(それはそうだけど……)
(んー……)
(どうしたのよ)
(何かいつもの桜月に戻った感じ?)
(……そう?)
(ちょっと弱ってる桜月もきゅるきゅるだけど、やっぱいつもの桜月が一番だな〜)


fin...


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