MIU404

□すれ違い
1ページ/1ページ


『さよなら、藍』


ドアから射し込む逆光で顔が見えない。
いつもならどんな時でもどんな表情をしてるか分かるのに。
今日は、桜月が何を考えて、どんな顔をしているか、分からない。



「、っは」



外へ出ようとしている彼女の腕を捕まえようとして伸ばしたはずの手が空を切った。
ハッとして目が覚める。
外はもう明るいはずなのに遮光カーテンによって日差しが遮られて薄暗いままの室内。
伸ばした手の輪郭がぼんやりと浮かぶ。

夢、か。
長く溜め息を吐きながら伸ばしていた手を額に乗せると、じっとりと嫌な汗をかいているのが分かる。
心臓が痛いくらいに激しく鼓動を打っている。
目覚め、最悪。
こういう日は隣で眠る桜月を抱き締めて二度寝するのが一番。
桜月の優しい匂いが腕の中にあれば、もう一度眠っても同じ夢を見ることもない。

そう思って隣にいるはずの彼女に手を伸ばした。



「……?」



柔らかな温もりがあるはずのそこには、ただ冷たいシーツの感触。
彼女の定位置に目を向ければ、いつもならあるはずの姿がない。
掛けてあった布団を剥ぎながら飛び起きるけれどベッドの上には愛しい彼女がいない。
顔を上げると室内には温かみが見られない。
彼女が纏う柔らかな空気というか、ふいんきがどこにもない。

ぞくり、と肌が粟立つのが分かる。
さっき見た悪夢がまたフラッシュバックする。



「っ、」



桜月のスマホも、財布も、バッグも、いつも使ってる物が全部ない。
背中を冷たい物が流れる感じがした。
急に怖くなって着替えもそこそこに部屋を飛び出した。

どこに行った?
桜月が行きそうな場所。
仕事は休みだって言ってたから、行きつけの読書ができるカフェかお気に入りの公園か友達のところか……桜月の家、奥多摩の家か。
平日だから友達のところは考えにくい。
だとするとカフェか、公園か、奥多摩か。

今の時間だとまだカフェは開いていない。
それなら公園か、という考えに至って歩いて10分ほどの距離にある公園めがけて全速力で走りだした。











































「っ、はぁ……」



木陰にある東屋。
そこが桜月の定位置。
天気の良い日はそこでよく読書をしてる。
そして俺が迎えに行くとちょっと嬉しそうに笑うんだ。
その顔が大好きで、今日もそこに行けばいつもみたいに笑ってくれる桜月がいると思っていたのに。



「……いない…………」



いつもの公園。
いつもの東屋。
いつも通りの風景。
ただ、そこには桜月がいない。

それだけなのにどうしてこんなにも色褪せているように見えてしまうのか。
俺の世界はこんなにも彼女中心に回っていたことに改めて気づかされる。

『藍のいる場所が私の帰るところだよ』なんて前に言っていたけれど、それは俺の方だったのかもしれない。
桜月がいなかったら、俺の帰る場所なんてどこにもない。



「…………次、」



滴り落ちる汗を袖口で乱雑に拭って駅を目指す。
ここにいないなら、きっと彼女の実家。
だって奥多摩は桜月の大切な、大切な場所だから。









































電車に揺られること二時間半。
駅からまた全力で走って桜月の家、大切な思い出がたくさん詰まったおやっさんと由布子さんの家の前まで着いた。
扉を開けようとするけど鍵がかかっている。
持たされてた合鍵を鍵穴に差し込みたいのに、手が震えて言うことを聞かない。
ここにもいなかったらどうする?なんて嫌な考えが頭の中を駆け巡る。
震える手を抑えながらようやく鍵穴に鍵を差し込む。
右に回して鍵を開けて、家の中に飛び込むようにして体を捩じり込む。

いない。
家の中を見なくても分かる。
締め切った空気が家全体を漂っている。
たぶんこの前、桜月と二人で空気の入れ替えと片付けに来た後から誰かがここに来た気配はない。
このままトンボ返りするかとも思ったけど、せっかくここまで来たんだから空気の入れ替えして、おやっさんと由布子さんに線香上げて、庭の草むしりしてから帰ろう。

本当はそんなことしてる場合じゃないことは分かってる。
でも、このまま桜月の部屋に戻って、もし彼女がいなかったら……そう考えただけで足元から崩れ落ちていきそうなほどに、怖い。
少し汗を流して、心と体の老廃物を吐き出してから部屋に帰ろう。



「やーだなぁ……」



これでもし彼女が部屋にいなかったら、どうしたらいいんだろう。
そんな嫌な考えばかりが頭を過る。




















































































草の根一本も取り逃がさないくらいまで草むしりをして、ついでに部屋の掃除までしちゃって。
部屋に戻った頃にはすっかり日が落ちてしまっていた。
帰り道、桜月が良く行く読書カフェにも行ってきたけど当たり前のように姿はなかった。
もしかして消えちゃった?
そんなことを考えながらアパートの部屋の鍵を開ける。
さて、次はどうするかな。



「あ、おかえり」
「………………桜月?」
「ん?」



ドアを開けた瞬間、美味しそうな煮物の匂いが鼻に届いた。
俯き加減だった顔を上げれば、そこにはいつも通りの桜月の姿。
靴を脱ぐという行為すらももどかしくて、転びそうになりながらも脱ぎ捨てて桜月をこの腕に閉じ込めようとしたら『まずは手洗いが先』と制される。
あぁ、桜月だ。

手を洗いながら鼻の奥がツンと痛くなる。



「…………桜月」
「ん?」
「手洗った」
「よし」


俺、犬みたいだな、なんて思いながら、料理してる手と鍋の火を止めてくれた桜月をぎゅうぎゅうに抱き締める。
背中に回された腕の感触が幸せで、やっぱり泣きそう。



「桜月、今日どこ行ってたの」
「え?」
「朝起きたらいなかった」
「今日は急遽出勤になった、ってメモ置いていったけど……?」
「、え」
「……見てないのね」



ちょっと呆れたように溜め息を吐く桜月。
桜月を抱き締めたまま、部屋の中を見渡せば棚の前に小さな紙が落ちているのが見えた。
あれか。
……そういえば朝、慌てて部屋を出る時にテーブルの上から何か飛んでいった気がする。
急いでたからそのままにしといたけど、あれが桜月が言ってるメモ?



「…………ちょー、焦った」
「藍?」
「夢でさ、桜月が出てっちゃう夢見てさ」
「うん?」
「朝起きたらいなかったから、ホントに出てっちゃったと思った」



朝起きた時の、部屋に誰もいないと分かった時のあの感覚。
思い出すだけで背中がぞくりとする。
その感覚を拭い去るために桜月をもう一度抱き締め直せば『その早合点、もう少しどうにかならないのかな……』と呆れたような呟きが聞こえた。



「ホントに家出したと思って、桜月探しに桜月がいっつも行ってる公園とかカフェとか……奥多摩の家も行ってきた」
「噓でしょ…………いや、夢に影響されすぎ」
「だって!……だって、昨日喧嘩しちゃったじゃん」



原因は冷蔵庫のプリン食べちゃったとか、桜月のお気に入りのバスソルト全部零しちゃったとか、そんなこと。
でも昨日は何かお互い変に意地張って謝れなくて、朝起きたら謝ろうって思ってたのに。
起きたら当の本人いないし、あんな夢まで見るし。
心配になるの当然じゃん?
そんなことを言えば、思いっきり溜め息を吐かれた。



「……なに?」
「知ってたけど、本当にバカ」
「ひどくね?」
「何回言ったら分かるの?私の居場所はここしかないんだってば」
「だって、アパートなんて解約すればどうにでもなるじゃん」
「…………怒るよ?」



本気で怒りだしそうなふいんき。
あんな思いをするのはもうごめんだから黙って桜月の話を聞く。



「私の帰る場所は、このアパートでも、奥多摩の家でも、ないってば。
藍がいなかったら意味ないって、何回言ったら分かるのよ」
「…………ごめん」
「バカなのは知ってるけど、それくらい覚えて」
「ひどくね?」
「藍が悪い。
私のこと信用してないってことじゃない」
「それは違うって!」
「じゃあ今度からはもう少し落ち着いて考えてよね」
「……ん」
「よし、じゃあご飯にしよ?」
「待って」
「、え」



今日、走り回ってめちゃめちゃ疲れたからその分の充電させて。
そう言ってから桜月の唇にキスを落とした。


*すれ違い*
(ねぇ……もう、ご飯)
(やだ)
(やだ、って……)
(ちょー疲れたから充電させて)
(ちょっと、どこ触って、んっ)
(充電充電〜)
(〜〜〜〜っもう……!)


fin...


次の章へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ