S 最後の警官

□気高い人
1ページ/1ページ


いつからか彼が早く帰宅した日の恒例行事となった夜の散歩。
専ら手を繋いで近くの公園まで行って他愛もない話をして帰宅するのが定番コース。
たまに途中でコンビニに寄って甘い物を買うことも。



「、あ」
「何だ」
「金木犀の匂い、しない?」
「……そう、だな」



今夜もいつもの公園へ向かう途中でふわりと鼻を掠めた甘い香り。
この時期にしか咲かない、甘い香りを放つオレンジ色の小さな花。



「どこだろ」
「探すか?」
「え、いいの?」
「……たまにはルート変えるのもいいんじゃないか」
「ふへへ……」
「何だ、気持ち悪い」
「別に〜?伊織は優しいなーって」



頬が緩むのが自分でも分かる。
気難しそうな顔をしていて口が悪いところもあるけれど、実は結構……いや、だいぶ優しいし案外甘いところがある。
本人に言えば『馬鹿か』と一刀両断されそうなので口が裂けても言わないけど。



「どうした」
「ん?えー、何でも?
金木犀、見当たらないけどどこかなーって思って」



誤魔化せただろうか。
たまに、いや、かなり勘の鋭い彼には私の考えなんていつもお見通し。
ちらり、と隣を歩く彼の様子を伺えば特に気にした様子はなく、目線を遠くに飛ばしている。
どうやら私の言葉を聞いて金木犀を探してくれているようだ。



「向こうだな」
「え、ホントに?」
「あぁ」



犬並みの嗅覚だな、なんて思っても言わない……というか言えない。
正直に言えば私はまだ彼の指す方向から金木犀の匂いをキャッチできずにいる。
でも、間違いはないのだろう。
確信をもって歩き始めた伊織の半歩後ろをついて歩く。
数歩、歩いたところで振り返った伊織が怪訝そうに眉を寄せる。



「そんな顔しなくても」
「お前が後ろを歩くからだ」
「え、」
「並んで歩け」



繋いだ手を引かれて、隣に並ぶ。
満足そうに眼を細めた彼がまた歩き出した。
あぁ、もう。こんな小さなことですら嬉しいと感じる辺り、私の幸せのハードルは相当低い。
そう思うと何だか恥ずかしくなって顔が上げられずにいると、ようやく私の鼻にも金木犀の匂いが届き始めた。



「金木犀の花言葉、知ってる?」
「興味ない」
「だよねー。『謙遜』とか『初恋』なんだって」
「そうか」
「あと、伊織に合うなーって思ったのがあったんだけど……あ、あった!」



匂いを辿ればようやくお目当てのオレンジ色が目に映る。
辺りをよく見ればいつも買い物に行くコンビニが目と鼻の先に見える。
こんな近くに植えてあるなんて、この辺りを散歩するようになって暫く経つのに全然知らなかった。



「んー、やっぱりいい匂い」
「そうだな」



金木犀の香りのハンドクリームなんてのもあるみたいだし、今度買ってみようかな。
そんなことを考えていたら隣に立つ彼から、やけに視線を送られていることに気づいた。
何かしたかなー、なんて痛くもない腹を探られている気分になる。



「花言葉、」
「うん?あぁ、さっきの話?」
「言いかけていただろう」
「伊織に合いそうってやつ?」
「そんな物があるのか」
「えー?知りたい?」



わざとらしく笑って彼を見上げながら聞けば非常に面倒臭そうな表情。
そんな反応されるのは分かっててやってます、なんて言ったら怒られるだろうな。
絶対に言わないけど。



「『気高い人』って、そんな花言葉もあるんだって」
「……そうか」
「金木犀って例え見頃でいい匂いがしてても、雨が降ると惜しむことなく潔くその花を散らすから、そう言われることもあるみたいだよ」
「…………」
「伊織は口は悪いけど」
「……おい」
「気高いって言葉はピッタリかな、って思うよ」



だから金木犀が好き、と付け加えて笑えばふいっと顔を逸らされた。
何考えてるか分からない、なんて言われがちだけど意外と分かりやすいと思うんだけどね。
きっと今は照れている、そんな彼の一面は私だけが知っていればいい。



「ね、伊織」
「……何だ」
「伊織は金木犀、好き?」
「……別に、嫌いじゃない」
「ふふ、天邪鬼」
「煩い」



少し黙れ、と街頭で照らされていた視界が暗くなったと思ったら、唇に柔らかな感触。
驚いて身を引けば、思いの外あっさりと離れていった唇。



「っ、な、っ!?」
「金木犀を見て笑ってる、桜月を見るのは、悪くない。
そう思っただけだ」



行くぞ、と先に歩き出した彼の耳が夜の闇の中でも朱に染まっているのが分かる。
けれど、きっと私の顔も彼に負けず劣らず赤く染まっているのだろう。
間が開いていたことに先に気づいた伊織が立ち止まって待ってくれている。
人影はないにしろ、まさか外でこんなことされるなんて思っても見なかった衝撃からようやく立ち直り、慌ててその背中を追いかける。
やられっぱなしは何となく悔しくて、飛びつくようにして意外と逞しい彼の腕に絡みつけば、驚いたように見開かれた瞳。
してやったり、と頬が緩むのが分かる。



「ね、伊織?」
「何だ」
「やっぱりお散歩、楽しいね?」
「……そう、だな」
「また来ようね?」
「また、な」



そう言った彼の横顔が穏やかなもので、こちらも幸せな気分になる。
我ながら安上がりだとは思う。
それでもこの、口が悪くて気高い人が隣にいて笑ってくれるだけで私はいつでもハッピーになれる。
そう、彼の存在が私の原動力なのだ。


*気高い人*
(金木犀、うちにも欲しいなぁ)
(……どこに置くんだ、ベランダだと掃除が面倒だろう)
(うーん、室内も向いてないよね……ハンドクリームで我慢するかぁ……)


fin...


次の章へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ