S 最後の警官

□幸せな温もり
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幼馴染の関係を卒業したことと彼の仕事とは何の関係もなくて。
寧ろ幼馴染という関係の時の方が一緒にいる時間が長かったと錯覚してしまうほどには、彼の顔を見ていない気がする。
勿論、付き合う前も任務が入れば顔を見ずに何日も過ごすことはあった。
けれど幼馴染という関係から一歩前進したからか、会わない日が続くと寂しいと思うものは致し方ないことで。

……音沙汰がなくて何日が過ぎただろう。
十日を過ぎた辺りから数えるのを止めようと思ったけれど、それでも指折り数えてしまうのは、



「仕方ないよね……」



今日も着信もメールもないスマホに充電器を差し込んで、少し冷たいベッドへと体を滑り込ませる。
彼と付き合い初めてすぐの頃だったか、一人暮らしをして初めて買ったシングルベッドが壊れてしまって、今後泊まりに来ることも増えるだろうから、と折半してセミダブルベッドを買ったのに。
彼が実際にこのベッドを使ったのは片手で数えるほど。

一人で寝るには少し広いこのベッドが丁度いい広さになるのはいつのことだろうか。
そんなことを思いながら、せめて夢では彼に会えますようにと願いを込めてゆっくりと瞼を落とした。

















































これは夢、だろうか。
だとしたら何て都合のいい夢なんだろう。
確かに夢でもいいから会えたらいいのに、とは思ったけれど、まさか本当に彼が目の前に現れるなんて。
でも、夢にしてはやけにリアルというか。
ベタではあるけれど、少し頬を抓んでみれば鈍い痛みが走る。

あ、夢じゃない。
そう思った瞬間にどうしようもなく泣きそうになったのはどうしてだろうか。
規則正しく上下する胸にひどく安堵したのは間違いなく。
あぁ、無事に帰って来てくれて良かった、と長期間の任務明けには毎回思う。

遮光カーテンから漏れる光で薄暗い室内。
彼の輪郭が少しぼやけて見える。
音沙汰がない時点で分かってはいたけれど、今回の任務も大変だったのだろう。
少し窶れた気がするし、普段は存在しない目の下の隈が今日は薄暗い中でもはっきりとその存在が強調されている。

少しだけ頭を上げて彼の顔を上から眺めてみれば、眉間の皺が眠っているのにいつもよりも深いのはそれだけ難しい任務だったのか、それとも同僚というか犬猿の仲というか実は似ているところがあると思うような神御蔵さんと何かあったか。
何にせよ彼の苦労が偲ばれる。
指先でそっとその皺に触れようとした時、視界の外から伸びてきた手で動きを制された。



「びっ、くりした……伊織、起きてた?」
「今起きた……人の寝顔をじろじろ見るな」
「ごめん……」



久しぶりに帰って来た彼氏の顔を見て何が悪い、とも思ったけれど、声色に滲む疲れが予想を遥かに上回り、反論する気もなくなってしまった。
それに帰って来て同じタイミングで目を覚ましたならば一緒に朝食も摂りたい。
今日一緒に朝食を摂れるとは思っていなかったから冷蔵庫に大したものは入っていないけれど、それでも少し手間をかければ多少は彼の栄養になる程度の食材はあったはず。
そこまで考えてもう少し横になっていたい気持ちを押さえて、上体を起こせばどこか不満そうな伊織に腕を引かれた。
と、思ったら何故かまた元の位置に逆戻り。



「……あの、伊織さん?」
「、……桜月」
「うん?」
「……もう少し、ここにいろ」



珍しい発言に耳を疑うけれど、表情を窺う限り冗談を言っている風でもなさそう。
寧ろ伊織が冗談を言う姿なんて生まれてこの方見たことがない。
いや、昔はもう少し表情も柔らかくて可愛げもあって……決して今が可愛くないという訳でもないけれど。
それにしてもどうしたというのだろう。
少なくとも私の知る限り、伊織はこんなことをするタイプでもない。

そんなことを考えていたら腰を引き寄せられて、彼との密着度が急に増す。
思いがけない伊織の行動に目を丸くしてしまう。



「伊織……?」
「何だ」



それはこちらの台詞である。
思わずそう言いかけたけれど、先程見た彼の疲れた顔が脳裏をよぎってそれも憚られた。
きっと彼はお疲れなのだ。
だから普段の彼からは想像もつかない行動に出る訳で。

勿論私とて疲れていないとは言わない。
それに、ここしばらく顔を見なかった彼に甘えたい気持ちがないとも言わない。
ただ……それを素直に告げるのは何だかちょっと放置され過ぎて天邪鬼になってしまっている部分もあって。
少しだけ、意地悪言ってもいい、よね?



「今日は、甘えたさん?」
「……」
「伊織?」
「…………悪いか」



からかうつもりが意外な返事。
想像とは違った答えに一瞬言葉に詰まってしまう。
どうしちゃったのだろう。
余程疲れているのだろうか。
思わず彼の額に触れるが私の掌と同じかそれより少し冷たいくらいの体温。
どうやら熱はないらしい。
私よりも天邪鬼な彼がこんなことを言うなんて明日は雨か、嵐か。

そんなことを考えていたら、手を振り払われてぎゅうぎゅうに抱き締められる。
あぁ、今日はこんな冗談に付き合ってくれる気力もないほど疲れているようだ。



「……ふふふ、」
「何だ」
「んーん、何でもない。私ももう少しこうしてたい」



そう言って伊織の背中に腕を回せば、少し緊張していたらしい彼の体から力が抜けていくのが分かった。
便りがないのが元気の印、とは言うけれど彼の仕事は危険と隣り合わせ。
いつ何時、何があるか。
無事で帰って来られる保証なんてどこにもない。
ふらっと部屋にやって来て、こうして顔を見られることがどれだけ幸せなことか。
改めて身に染みた気がする。



「……伊織?」



彼の胸に顔を寄せていると頭上から規則正しい寝息が聞こえてくることに気づいた。
そっと顔を上げれば、珍しく二度寝に入った彼の姿。
あぁ、やっぱりお疲れなんだ。
声が聴きたかったとか会いたかったとか寂しかったとか言いたいことはたくさんあるけれど、まずはこうして無事に帰って来た彼の温もりを噛み締めよう。


*幸せな温もり*
(……ん、)
(起きたか)
(私も、二度寝してた?)
(あぁ)
(起こしてくれれば良かったのに)
(そのつもりだったんだがな)
(ん?)
(寝顔を見るのも悪くないな)
(、そういうの、反則……)


fin...


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