S 最後の警官

□あめふり
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季節外れの雨が降りしきる。
随分前に彼女が入れてくれていたらしい黒い折りたたみ傘を片手に、待ち人がいるはずのマンションへと急ぐ。
玄関のドアを開ければ天候のせいか昼間だというのに薄暗い室内。
明かりも点いていない。
記憶が確かであれば今日は休みで、予定は入れずに部屋でのんびりしたいと言っていた気がする。



「…………桜月?」
「あ、伊織。おかえり〜」
「何をしてるんだ」



ふと見ればベランダの掃き出し窓が全開で、視線を落とせばその全開になった窓枠に腰を下ろして空を見上げている後ろ姿が目に入る。
相変わらず行動が読めない、と思っていたら、後ろ手に閉めたドアの音でこちらを振り返った彼女がふわりと微笑んでみせた。
小さく息を吐いた後でネクタイを緩めながら問いかければ、ふふふー、といつもの笑い声を漏らしながら再び視線を外へと向ける桜月。
付き合いが短いとは言わないが、彼女の言動はいつになっても理解が困難。
……彼女がもう少し分かりやすい人間だったら、興味をもつこともなかったかもしれないが。



「雨の匂いを感じてたんだよ〜」
「……何?」
「え、伊織って雨の匂い分かんない?」
「お前の発言の意味が理解できん」



元々言動を理解するのが難しかったが、今日の発言は更に理解不能。
スーツの上を脱いでから彼女が座る窓際へと足を運べば、湿った外気が頬を撫でる。
雨の匂い、とはこのことを言っているのだろうか。
しかし、これは匂いというよりは感触という表現が正しいような気がする。



「何ていうかなぁ、雨が降り始めた時の地面の匂い?
それが何となく好きなんだよね」
「……そうか」
「伊織、それ絶対何言ってんだって思ってるでしょ」
「よく分かったな」



やっぱりー、とどこか不貞腐れたような表情を見せる彼女をそのままに、着替えを済ませる為に寝室へと向かう。
伊織は分かってないなぁ、とどこの目線で物を言っているのか分からない彼女の独り言を背中で聞きながら着替えをする。
温かいコーヒーを二つ淹れて、ベランダから動く気配のない彼女の元へと足を向ける。

部屋の温度からしておそらく雨が降り始めた頃からずっとあの場にいたはず。
今日は元々気温が低く、雨のお陰で更に肌寒く感じる。
人の体調には口煩いが自分の体調には無頓着な彼女の身体は、きっと末端から冷えているはず。



「桜月」
「んー?あ、ありがと〜」
「どのくらい座ってるんだ」
「えー、雨降り始めた頃からだから……一時間くらい?」
「はぁ……」



予想通りの返答に溜め息しか出てこない。
コーヒーを受け取ってからも腰を上げる気配のない彼女の隣に座れば、触れ合う肩の温度が彼女の身体の冷えを物語っていた。
全くもって予想通り過ぎる。



「溜め息吐くと幸せ逃げるよ?」
「お前がもう少し自分の身体に頓着していれば溜め息を吐くこともないんだがな」
「えー?」



自覚がないことが一番手に負えない。
自分自身とて人のことが言えない立場にあるのは分かってはいるが、まだ自覚はある。
だが彼女は自覚していない分、余計に厄介というか。



「よく分かんないけど」
「……何だ」



ふふふ、と笑った後で己の肩に彼女の頭が乗せられた。
近くなった彼女の香りが鼻腔を擽る。
それだけで疲れが少し軽減された気がするのは気の所為だろうか。



「雨、好きなんだよね」
「それは知ってる。嫌いならこうして見てないだろ」
「それもあるけど……」
「何だ」



またしてもふふふー、とよく分からない笑い声を漏らす桜月。
今日はいつも以上に機嫌が良いらしい。
視線を感じて彼女の方を向けば、軽く顔を上げて機嫌が良さそうな表情でこちらを見ている彼女と目線が絡む。



「このコンクリートジャングルの中で自然を感じられるっていうか?」
「…………表現が古い」
「ひどい〜」



怒るよ?と言う割には表情がそうとは言っていない。
それどころかどこか楽しげで。
彼女が楽しそうだと自身の眉間の皺が和らぐ気がするのは気の所為ではないはず。



「ちょっと寒いから、伊織にくっついても怒られないし」
「怒ったところでお前は離れないだろ」
「まぁ……うん、そうね」
「何照れてる」
「いや、事実とは言え人から指摘されると恥ずかしいな、って」
「今更だな」



彼女の言動を考えれば……否、考えなくても分かること。
今更過ぎる返事に小さく溜め息を吐けば、居心地悪くなったのか凭れていた身体を起こしてカップを口に運ぶ桜月。

離れた空間に雨で冷えた空気が流れる。
彼女の口からカップが離れたことを見届けてから、そっと小さな肩を抱き寄せれば少し驚いた表情で見上げられる。



「伊織、?」
「…………」
「ん?」
「少し、冷えた」
「……ふふ、そうだね」



言わずとも察したらしい彼女がどこか嬉しそうに笑う。
その笑顔に自身の頬が少し緩むのが否応なしに分かった。

止む気配のない雨。
隣には機嫌の良い彼女。
こんな日もたまには悪くない。


*あめふり*
(ねぇ、伊織)
(何だ)
(夜、外に食べに行かない?)
(珍しいな)
(雨降ってたら相合い傘したいな、って)
(……二人で同じ傘に入るのはどちらかか、二人共濡れる可能性が高い)
(えー)
(だが、悪くないな)
(ふふふー、伊織のそういうとこ好き)


fin...


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