MIU404長編

□三話
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人の心に入っていくのが上手い人なんだろう。
新しく奥多摩の交番にやって来た伊吹藍という男は、季節が夏に移る前にはこの辺りの人達とすっかり打ち解けていた。
問題を起こして飛ばされてきた、なんて話を聞いたけれどそんな姿が想像もできない。



「おっかえり〜、桜月ちゃん」
「ただいま、藍ちゃん」
「あれ、なーんかお疲れじゃね?」
「んー……進路のことでちょっと、ね。夏休み入ったらすぐに面談あるし」
「そっかそっか〜、そういえばおやっさんもそんなこと言ってたな〜」



最近の日課と言えば、家に入る前に交番に寄って藍ちゃんとお話すること。
何かある訳でもないけれど、私の下校時間には必ず藍ちゃんが交番にいて『おかえり』と迎えてくれる。
祖父母以外にそんなこと言われたことなんて随分昔のことで、最初のうちは何となくこそばゆいものがあったけれど、1ヶ月もすれば慣れてしまった。
定位置と化したパイプ椅子に腰を下ろせば、冷たい麦茶を出してくれる藍ちゃん。
ありがと、と受け取って一気に飲み干す。
今日は蒸し暑い。もう少しで本格的な夏がやって来る。



「おじいちゃん、何て?」
「んー?『高校卒業したらすぐに働くとか抜かしやがる。手に職をつけておかねぇとこれからの社会はやっていけねぇ』って」
「ははっ、おじいちゃんの真似上手」
「でしょでしょ〜?でもおやっさんも由布子さんも桜月ちゃんのことが心配なんだよ」
「それは……分かってるけど、大学にしても短大にしても、専門学校だってお金はかかるし、あんまり迷惑かけたくない。
奨学金借りるのも手だけど、それよりは早く社会に出て働いた方がいいと思ってる」



8歳で両親を亡くしてから、ずっと親代わりに私を育ててくれた。
中卒で働くことも考えたけれど、それだけは絶対に止めろ、と二人に猛反対されて家から一番近い高校に入った。
高校に入学してからはあっという間で、もうそろそろ進路を考え始めなければいけない時期。
そしてまた、就職したい私と進学させたい祖父母(特におじいちゃん)との平行線の話し合いが続いていた。



「藍ちゃん、おじいちゃんおばあちゃんを説得してよ」
「うーん、俺は基本的に桜月ちゃんの味方だけど今回はおやっさん達を応援するかな〜」
「何でよ」



いつもならどんなことでも味方になってくれるというのに。
そんな不満が顔に表れていたのだろう。
苦笑しながら空になったコップにもう一杯麦茶を注いでくれる藍ちゃん。



「もちろん、早く社会に出るのも大事かもだけどさ。学生の時しかできないことっていっぱいあるよ〜?
たぶんおやっさん達はそういうの経験して欲しいんじゃないかな〜って藍ちゃんは思うんだよなぁ〜」
「……藍ちゃんがまともなこと言ってる」
「いやいやいや、藍ちゃんお巡りさんだからまともなことしか言わないって〜」



彼はそう言うが、ここに来てからの約3ヶ月間、まともな発言を聞いた記憶がない。
初めの頃は遠慮して一応敬語で話していたけれど、勤務時間が終わるとほぼ毎日のように我が家で夕飯を食べて、祖父の相手をして祖母に翌日の朝ご飯を作ってもらっている藍ちゃんを見ているうちに、そんな遠慮が無駄な気がしてきて、今ではすっかりタメ口になってしまった。



「とりあえず、もう一回話してみなって。もしアレなら俺も一緒に話すからさ?な?」
「……ん、ありがと」



ぽんぽんと頭を撫でられれば、何となく頑張ってみようと思える気がして。
注がれた麦茶をもう一度、一気に飲み干した。











































「あーいちゃん」
「ん?あれ、桜月ちゃん?学校は?」
「創立記念日でお休み」
「そっか、今日はどっかお出かけ?」
「んー、ちょっと自分探しの旅に」
「何なに、どゆこと?」



あの藍ちゃんに相談した夏の日から季節が移り、もうすぐ冬に指し迫ろうとしているある日。
学校の創立記念日のタイミングで受験を予定している大学の下見に行くことにした。
別に志望校が決まったから下見をして、やる気を出そうとかそんなカッコいい理由ではなくて。
単に家にいると祖父が口煩いから下見と理由をつけて外に出て来た、というのを簡単に説明。



「まぁ、そんな感じです」
「そっかそっか、大学行くことにしたんだもんなぁ」
「色々と紆余曲折あったけどね」



あれ以来、学校の先生も交えてたくさん話し合いを重ねた。
大学でも専門学校でもとにかく進学してほしい祖父と就職は勿体ないと進学を推す先生と、就職して早く社会に出たい私。
祖父と先生の言い分も分かる。
けれど私としてはこれ以上迷惑はかけたくない気持ちがある。
勿論、奨学金制度があることも知っているけれど、借金してまで進学することは考えていない。
そんな中、交番で愚痴大会を開いていたら珍しく祖母が顔を出したことがあって。



『迷惑なことなんて何もないのよ』
『だって、進学したらお金めちゃめちゃかかるじゃん』
『あぁ、それは大丈夫。心配しないで』



そう言って差し出されたのは私名義の古い通帳。
開けてみるよう促されてページを捲ってみれば、最初にかなりのまとまった金額が記載されていて、次からは少額ずつ毎月入金されている。
日付は……私が8歳の辺りから。



『桜月ちゃんのお父さんとお母さんが亡くなった時の保険金と、事故のお相手からの慰謝料と、あとはおじいちゃんがボーナスいただいた時とか私のへそくりとか、少しずつ貯めて来たの。だからお金は大丈夫なのよ』
『……でも、』
『桜月ちゃん、何もおじいちゃんも頑なに進学を薦めてる訳じゃないのよ?』
『……あれのどこが?』
『まぁまぁ……でもね、どう頑張っても私達の方が先にいなくなるから、その時に桜月ちゃんが困らないように、って思ってるの』
『…………』
『だから、もし私達に迷惑がかかるから進学しないって言ってるなら、私達が安心できるように進学して欲しいなっておばあちゃんは思うの』



結局、祖母の一言があって進学を決めた訳だけれど、藍ちゃんには散々話を聞いてもらったし、きっと彼がいなかったら祖父とはもっと険悪になっていたはず。
何だかんだ文句を言いながらも祖父は藍ちゃんのことをこの交番のお巡りさんと認めている。
藍ちゃんが潤滑油になってくれたお陰で何かと喧嘩しながらもそれなりに仲良くやってこれている、と思っている。








「じゃ、行ってきます」
「あ、待って待って。俺もパトロールがてらお見送り〜」
「……そんなフリーダムでいいの?」
「自由を生きる男、それが伊吹あ〜い」
「あ、そう……」



何を言ったところで私に止める権利はないし、そもそも止められるとも思っていない。
駅までの道を並んで歩く。
こうして並んで歩くのは初めてかもしれない。
身長が高いのは知っていたけれど、こうして並んでみると余計にそれが分かる。



「ん?」
「いや、藍ちゃんは大きいなって」
「ん〜、そんなことないよ?俺、もうちょっと身長欲しかったもん」
「えー……それ以上大きいと見上げる時に首疲れそう」
「そ?じゃあ今のままでいいや〜」



何故かご機嫌な藍ちゃんに首を傾げながらも他愛もない話を続ける。
毎日のように、と言っても藍ちゃんが非番の日は流石に会うことはないので言葉通り毎日ではないにしても、ほぼ毎日帰宅後から夕飯後まで一緒にいるというのに話題が尽きないのは藍ちゃんがほんの些細な出来事でも楽しそうに語ってくれるからなのか。
遠いと思っていた駅までの道のりもあっという間。



「行ってきまーす」
「ん、気をつけてな」
「ありがと」



もう少し一緒に歩きたかったな……なんて思うのは彼の話が楽しかったからか、それとも別な理由なのか。
深く考えることはなく、ちょうど到着した電車に乗り込んだ。


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