MIU404長編

□三話
1ページ/1ページ


加瀬先生が説明してくれた。
桜月は事故で頭を怪我して、高次脳機能障害による記憶障害、逆行性健忘の状態だ、って。
全然分かんなかったけど、要するに事故の後遺症で記憶喪失になってるってことだ、って志摩が教えてくれた。

ただ……もしかしたらその記憶喪失は治らないかもしれない、って。
事故直後の検査では何ともなかったけど、もしかしたら時間の経過と共に脳のどこかで出血しててそれが原因かもしれないし、一時的なものかもしれない。
詳しく検査してみないと分かんないけど脳が傷ついてて記憶を司る場所?が損傷してたら記憶は戻らない、らしい。

加瀬先生が話してることが全然頭に入ってこない。
むじぃこと言ってるからってのもあるけど、何?
何言ってんの?目覚ましたのに、



「……き、伊吹。おい、伊吹」
「……………あ、?」
「明日以降、CT検査を行い詳しく調べます」
「あぁ……お願い、します」



加瀬先生の説明を受けた後で病室に寄れば、横になって眠っている桜月の姿。
意識が戻ったから酸素マスクも外れて、顔の傷もほとんど目立たなくなって。
規則正しく胸が上下してる。
昨日までは早く起きて、と思っていたけど今はその目が俺を映すのが怖い。

また、知らない人を見るような目で見られるのが、怖い。










































検査の結果、脳には異常はなかった。
事故の後遺症ということで、もしかしたら普段の生活に戻れば記憶が戻るかもしれない、って言われて。
ケガが良くなったら退院することになった。

ハムちゃんやゆたかには意識が戻ったならお見舞いに行きたいと言われたけど、隊長がうまく話してくれたみたいでしばらく待ってもらうことにした。
職場の上司の人には事情を説明した。退院しても記憶が戻らないと仕事には戻れないし。
桜月が事故に遭ってからの俺、めちゃめちゃ頭使ってる気がする。



「こんちは〜、元気〜?」
「伊吹さん……こんにちは、お仕事はお休みですか?」



桜月が忘れてしまったのは自分に関すること。
自分が誰で、どこで生まれて、どうやって育ってきたのか。
俺のことはもちろん、これまで知り合った人達のことも全部忘れてる。
説明されてもよく分かんなかったけど、話してる言葉とか、洗濯機の使い方とか、自転車の運転とか、何かそういうことは覚えてるって言ってた。

何かのきっかけで記憶が戻ることもあるから、と聞いて非番と週休の日は面会時間めいっぱい病室にいることにした。
それはこれまでと一緒。
ただ違うのは桜月は目を覚ましてて、俺のことを『伊吹さん』と呼ぶ。
名前呼び捨てでいいよ、って言ったんだけど、年上の人を呼び捨てなんてできない、って初めて出会った時と同じようなことを言ってた。
そういうところは記憶がなくても、やっぱり桜月でちょっと寂しくなった。



「今日は非番〜」
「非番……?」
「んっとねー、仕事終わりってこと」
「そうなんですね、お疲れ様です」
「桜月ちゃんは?何してた?」



笑顔で迎えてくれるけど、心の距離が遠い。
ベッドサイドの椅子に座りながら様子を窺えば、ちょっと疲れた顔してる。
ん?と思って少し顔を覗き込めば、そんな俺の表情に気づいたのか肩を竦めて笑って見せた。



「午前中リハビリだったんです」
「あー、何か先生がスパルタなんだっけ?」
「そうなんですよ、『若いんだからまだいける!』って……一ヶ月前に大事故で生死の境にいた人間にやらせることじゃないですよ」
「そっかそっか〜、お疲れ様〜」



頭を撫でようと手をあげかけて、止めた。
今の桜月は桜月だけど、桜月じゃないから。
行き場がなくなった手で自分の頭を掻く。



「……伊吹さん?お疲れですか?」
「ん?ぜーんぜん?そういや昨日さ〜……」



会話がなくなるのが怖い。
前はそんなことなくて、お互いに別なことしてて喋らなくても平気だったのに。
今は何か喋っていないと、静かな時間が何か怖い。
密行中にあったこととか、食べたものの話とか、どうでもいい話をめちゃくちゃ楽しかったように話せば、めちゃめちゃ楽しそうに笑ってくれるから。
その笑顔は、事故の前も今も何も変わりがなくて。

それでもたまに俺を呼ぶ時に『伊吹さん』って言うのが、無性に寂しくて。
やっぱり仕事終わりに来るもんじゃなかったな、疲れてる時にそうやって呼ばれるのきついかも。



「ごっめーん、桜月ちゃん。今日さ、電気屋さん来るの忘れてたわ〜」
「あ……そういえば洗濯機壊れたって言ってましたね」
「そうそう、だから今日はこれで帰るね」
「はい、お忙しいところすみません。ありがとうございます」
「じゃ、まったね〜」



軽い調子で手を振れば、にこりと笑って手を振り返してくれる。
病室を出る前に一つ思い出したことがあって、振り返れば不思議そうに首を傾げる桜月。



「あのさ、ハムちゃんがお見舞いに来たいって言ってるんだけど、今度連れてきてもいい?」
「ハム、ちゃん……?」
「桜月ちゃんが仲良くしてた子。意識戻ってからずっと来たいって言ってたんだけど、少し待っててもらってたんだ」
「……私の、状況はご存じなんですか?」



たぶん記憶がないことを言ってるんだろう。
ゆたかは説明しても難しいから、と記憶喪失になっていることもだけど、申し訳ないけど意識が戻ったことも伝えてない。
言ったら会いたいって言うはずだから。
ハムちゃんには隊長から全部伝えてもらってる。
ショック受けてたみたいだけど、体調が落ち着いたら記憶が戻ってなくても会いたいと言ってて何回かLIMEで様子を聞かれていた。
リハビリができるくらいには回復してきたことを考えれば、そろそろ一度会ってみてもいいかもしれない。

俺と、たまに顔を出す志摩以外の人間に会ったら、少し刺激になるんじゃないかって志摩に言われたのもある。



「大丈夫、ちゃんと伝えてあるから」
「……分かりました」



少し緊張してるように見えるのは、意識を取り戻してから俺と志摩、それと病院のスタッフ以外と顔を合わせていないからだろうか。
もう一回、大丈夫だから、と伝えて今度こそ病室を後にする。
早速ハムちゃんに連絡しよう。
ハムちゃんと俺の休みが合う、一番近い日に桜月に会ってもらおう。


next...


次の章へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ