MIU404長編

□十話
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「桜月〜、準備できた〜?」
「あ、はーい」
「んふふ、じゃあ行こっか」
「はい!」


今日はかねてより約束していたお出かけの日。
記憶を失くす前に天気が悪くて行けなかったらしい遊園地に連れて行ってくれるという話。
その話は覚えていないけれど、この状態になってから色々なところに行こう、と言われていて。



「あの、伊吹さん」
「んー?」
「前に……記憶失くす前に行くって言ってたのに行けなかったのは、どうしてですか?
天気悪くて行けなかったって台風とか……?」



当時のことを思い返すように少し上を向いた伊吹さんが、首を傾げながらにこりと笑ってこちらに視線を下ろしてきた。



「あの時、雨降ってたからさ〜。せっかくなら晴れてる時に行きたいじゃん?
それに雨の中出かけて桜月に風邪引かせんのもヤダし」



何となく納得したような、釈然としないような。
それでも特に気にしたような様子もなく、それどころか楽しそうな彼の横顔にそれ以上は何も言えなくて。
鼻歌まで聞こえてきそうなご機嫌な彼の姿にこちらまで楽しくなってくる。
ふふ、と思わず笑ってしまうと不意に右手が温もりに包まれる。



「っ、……!」
「嫌だった?」
「そ、ういう訳では、ないんですけど……」
「んふふ、じゃあいいよな〜」



こちらに許可を求めているようだけれども、返事をする前に半ば強引に指先を絡められる。
彼からのスキンシップが多くなったのはいつからだろう。
つい先日、自分の想いを彼に伝えた後辺りからだっただろうか。
恥ずかしくもあるけれど、どこか落ち着くのは彼の温もりを身体が覚えているということ、なんだろうな。
……この考えは何とも恥ずかしいけれど。



「ん?」
「あ、いえ……今日は楽しみだな、と思いまして」
「俺も俺も〜、でもさ?」
「え、?」



隣を歩いていた彼に不意に顔を覗き込まれ、心臓が大きく跳ねる。
心の距離がぐんと縮まった分、物理的な距離も近くなったように感じるのは気のせいではないはず。
彼にしてみれば何てことない行動なんだろうけれど、私にとってはこの距離は心臓に悪い。
無意識のうちに後ろに上体を反らせば、不思議そうに首を傾げられた。



「どした?」
「いえ、何でも……伊吹さんこそ、どうされました?」
「ん?あぁ、昨日も言ったけど『伊吹さん』じゃなくて『藍』ね。
あと敬語はもうナーシ!」
「そ、れは……善処します……」
「じゃあ今日のデートで名前で呼ばなかったり敬語使ったりする度に桜月からちゅーしてもらおっかな〜」
「?!」



そんな他愛のない……いや、私にしてみれば他愛のある話だけれども、そんな取り留めのない話をしながら駅へと向かう。
記憶を失くしてからも何度となく歩いた道。
初めのうちはどこもかしこも見たことのない景色で一人で歩くのは不安だらけだったけれど、事故から三ヶ月経った今は周りから見ればすっかり元の生活に戻っているように映るだろう。
勿論、記憶が戻っていないことを考慮すればすっかり元通りとは言えないけれど、少なくとも身体に事故の後遺症は出ていないし、日常生活を送るうえでは問題ない。



「桜月?頭痛い?」
「え、あっ……いえ、大丈夫ですよ」
「んー?」
「……あ、だ、大丈夫」
「ん、よーし」



満足そうに笑った伊吹さんに手を引かれて、いつの間にか止めてしまっていた歩みを再開させる。

無理に記憶を戻そうとしなくていい、と彼は言うけれど。
彼が不意に見せる寂しそうな表情は今の私が拭い去ることはできなくて。
やっぱり、彼が好きなのは私であって、私ではない。

深く思念に沈みそうになった時。
けたたましいサイレンの音が通りの奥から聞こえてきて、ハッとして顔を上げる。
事故?それとも事件?



「何だぁ……?」
「パトカー、ですよね?」
「ん、何台もいる」



きっと私の耳に届くよりも前に伊吹さんの耳にはサイレンの音が聞こえていたはず。
彼の顔を見上げれば、こちらに向かってくるサイレン音の方角へ険しい表情を向けている。
普段は掴みどころのない性格をしているけれど、こういう時……仕事が絡むとこちらが息を吞むような真剣な表情を見せる。

心臓が早鐘を打っているのは、
近づいてくるサイレン音のせいか、
それとも彼の真剣な眼差しのせいか。

どんどん近づいてくるサイレン音。
この音には人を不安させる効果でもあるのかと思うくらいにやけに胸がざわざわする。
空いている手で胸の辺りをぎゅっと掴む。
信号待ちと、サイレンの音で止まった車の間をすり抜けるように青いスポーツカーが、物凄い勢いで通りの向こうからこちらに向かって走ってくる。

けれど、スピードを殺し切れず曲がり損ねたそのスポーツカー。
信号交差点の角で立ち尽くしていた私達をめがけるようにして、その大きな車体が本来あるべき向きとは異なる形で吹っ飛んできた。



「桜月っ……!」



繋がれていた手を強く引かれた、と思った瞬間、ドン、と大きな音と共に体に強い衝撃が走った。

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